先月末の事。田舎の母の長姉から、5月に亡くなった義理の伯母のアルバム整理をしたのでと、
写真とともにいつものオーガニックの卵と野菜が届いた。まずインゲンを湯がこうと筋を取り始
めたのだけど、未熟な太さではないのに筋が全くないのにビックリした。調べたら、どうもこれ
らしい。「すじなしインゲン」なんてあるんだ~。ただ塩ゆでして、マヨネーズ&醤油のドレッ
シングでいただくのが好き。甘くて美味しかった~
翌日は茄子を味噌炒めしようと切っていたんだけれど、どう言ったらいいのか、切る時に包丁か
ら私の手に伝わってくる感触が、今まで経験したことのない感触だった。クククッという茄子特
有の皮の抵抗が全くなく、す~っと包丁が入る。まるでやわらか~なスポンジケーキを切ってい
るみたいで、切るのが気持ちが良かった。切るのが気持ちいい茄子など初めてだ。
茄子って、あまり味や香りの主張のない野菜だと思っていたのに、なんでこんなに美味しいんだ
ろう…。ピーマンと一緒に味噌炒めにしたのに、はっきりと茄子の味がして、やっぱり甘い。な
にこれ?と思うくらい、スーパーで買ったのと味が全然違う…(@_@;)
伯母ちゃん、従兄弟のOちゃん、すごいよっ。この茄子ってば、一個お幾ら?たぶんこの茄子も、
種類が違うものかもしれない。変わった野菜を作るのが得意だというのは、お孫さん?いずれに
せよオーガニック野菜は、手間と知恵のかけ方が違うので、贅沢な野菜だ。
この茄子は、たぶん丸かじりしても美味しいだろうと思う。実は、私が茄子を美味しいと思って
食べられるようになったのは、伊豆へ行ってからの事。もったいなかった…。祖母の作った茄子
を、祖母の前で美味しいと言いながら食べることができなかった。
今まで伯母が野菜などを送ってくれるのは冬だったので、夏野菜をいただくのは初めてだった。
冬野菜ももちろん甘みが強く、市販ではあまりしないその野菜特有の香りがちゃんと香って来て、
ああ、子どもの頃は当たり前にこういう野菜を食べていたなぁと、懐かしい思いになるのだった。
昔はオーガニックなんて言葉はなかった。田舎だし、野菜の見栄えなんて関係なかった。歪だっ
たり曲がっていたり、虫喰い穴が開いていて当たり前。でもそれが現在なら、なんと贅沢な野菜
をいただいていたんだろうということになるのだから、思えば時代の価値観というのは妙なもの
だ。
自然の状態で育てる露地野菜は、夏の花が夏にしか咲かないように、旬の時期にしか食べられな
かったことも、昔の野菜が美味しかった理由の一つなんだろう。
祖母が、土作りから一人ですべての畑仕事を担っていた。私が生まれるずっとずっと前から、そ
れが祖母の日常だったのだ。祖母が耕した畑の土は、子どもだった私の足にも感触が残るほど、
それはそれはふかふかで、土に足が沈み込むのだった。その光景を今思い出しているのだけど、
足元に咲いたホトケノザも心なしか嬉しそうだ。家で食べる分だけだったので、規模はさほどで
はないにしろ、黙々と働く祖母の姿を思い出すと、ただただありがたい。
日本の習慣、「いただきます」や「ごちそうさま」は、しみじみ良い言葉だと思う。
夕飯を済ませてだいぶ経った後も、台所に行くと茄子とピーマンとお味噌の、本当~に美味しそ
うな匂いがした。冷蔵庫で冷えたのが、これまた美味しい。天高く、結女肥ゆる秋なり…。
ず~っと頭の隅っこにある続きを書かないでいる諸々の事。こんなところへ書いたとて、それが
なんになるのかという虚しさ。でも書くなら、一番気に入ったこのテンプレの中に書かれた状態
を目にしたいと思う、愚にもつかない矛盾。結局、下書きは溜まりゆき、思い付きだけをだらだ
ら垂れ流す。頭の中に書かれた記憶は日々薄れ、忘却の彼方。また頭の別な片隅には、こう書い
てある。
それでいいのだ…と。
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沁みるよ、これ。
★ Eric Clapton -Autumn Leaves ★