これは2019年02月03日に書き始めたもので、「今日、昨日」という
日付に関してはその頃のことです。
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平均寿命が延びた現代では、「お爺ちゃん、お婆ちゃん」と呼ばれる世代の外見は、とても若々
しくなった。昭和生まれの私が物心がついた頃、私の父方の祖母は足腰こそしっかりしていたが、
子どもの目からは現在の70~80歳くらいの風貌に見えていた。
現代人と比べると昔の人は若い時から精神面もしっかりとして、その面差しも大人っぽかった印
象があるが、祖母の場合は長く重い苦悩や労働の年月が、老いを身体に深く刻みこんでいたのだ
ろう。
体は枯れ木のように痩せ細っていたが、一人で家事や農作業を黙々とこなす働き者だった。口う
るさいわけでも余計なお喋りをするタイプでもなく、寡黙で伏し目がちな視線の人だった。祖母
自身の身の上の話は、私が子どもの頃に祖母の次女から聞いたのだと思うが、若くして夫を亡く
したこと以外は、盲腸をこじらせ、腹膜炎で死にかけたことがあるくらいしか知らなかった。
服装はいつも着物で、下は働きやすいように絣のもんぺ。白い割烹着に姉さんかぶりした手ぬぐ
いがトレードマークだった。私にこれほどの祖母への思いが残っているのは、私が祖母に可愛が
ってもらったことが最大の理由だと思うけれど、決して孫に甘いだけの祖母ではなかった。
祖母の日常のあれこれは、子ども心にも尊敬に値するほどのもので満ちていた。その思いは、私
が大人になって大変さを理解するほど強くなっていった。
裁縫が達者だった祖母は、近所から着物の洗い張りや仕立て仕事をもらっていたようだった。家
にある洋服と足袋以外の布製品。掛け敷布団や座布団、掻巻、綿入れ半纏やちゃんちゃんこ、家
族の着物や浴衣などは、全て祖母の手縫いだったと思う。
享年が65歳だったのは、現代ではとても若いと思うけど、祖母の人生の労苦を察すると、なにか
「やっと任から解き放たれた」かのような、そんな死だったんじゃないかといつも思うのだ。
6年前、母の遺産相続のために取り寄せた戸籍で、祖母は子どもの頃に養子だったことを知った。
私の実家の改正原戸籍によると、家系には戸主夫婦に子どもがおらず、女児を養子に迎え、婿養
子をとっている代があった。養子というのはほとんどの場合、そんな風に子どものない夫婦が迎
えるもので、女の子であれば婿養子を迎えて後を継ぐのが普通なのだという程度の認識しか、私
にはなかった。なので養子だった祖母が外へ嫁いだのは、祖母を養子に迎えた後、養父母に子が
授かったのではないか?と思っていたのだ。ところが…。
数年前、ある手続きが必要で、面識は小学校の時が最後の父方の伯母、つまり祖母の長女と初め
て電話で話をした。私は性格に険がある人は、面立ちに現れる人が多いと常々思っているのだが、
逆もまた然りで、祖母の長女は彫りの深い祖母によく似た、しっかりしているけれどもやさしい
目元がとても印象深い、綺麗な人だった。祖母も若い頃はあんなふうに、ただ黙って隅の方に座
っていたとしても視線を集めそうな、楚々とした花を思わせる人だったに違いないと思うのだっ
た。
私がここへ越してきて数年後に、子どもを介して知り合った近所のお母さんが、やさしい印象の
目元が伯母によく似ていたものだから、会うたびに心の中でああ似てるなあと思っていたっけ。
もう80半ば過ぎの老齢の伯母。話し相手になる覚悟をして、祖母のことを訊こうと思った。二度
の電話で3時間はたっぷり喋った。聞き覚えのあるその声。妹である叔母が、姉は母親と同じに
学校では総代だったと、なんだか恨めしそうに言っていたのだが、記憶は妹よりずっとしっかり、
はっきりしている印象。ゆったりとした口調は理路整然としていて、約70年以上昔の記憶の再現
には、淀みがほとんど感じられなかった。
最近になって再び戸籍が必要な出来事があり、数年前行政書士から返されたまま、中を確認もせ
ずにしまい込んだ書類を出して見ていたところ、見覚えのないピンク色の戸籍謄本が出てきた。
なんと、それは、思いもかけない祖母の生家の戸籍だった。
想像と憶測の域を出てはいないが、伯母の話とその戸籍とで、祖母の物語をほんの少し知ること
となったのだが、今これを書くために再びガサゴソと戸籍を見ていたら、もう一つ覚えのない謄
本を発見!うっわああああ…なんてこった。こ、これ、祖母が養子になった先の戸籍だっ!他と
同じ自治体の謄本だったので、色が同じで全く気づかなかったぁ…(@_@;) (@_@;) (@_@;)
思いがけぬ戸籍 2
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