年を追うごとに、時間の経過は速く感じるようになるものだけど、
とりわけこの10年に気が付いた時のその驚愕ときたら、「えっ!?
噓でしょ?」と思わず口に出た。
母が亡くなって今年で早10年になることを、昨年11月に気が付いたのだ。
まだほんの数年前のような気がしていた。10年前のたった24時間の出来事も、
まだブログに書き終わっていないというのに。
いや、もう書ける気がしない。文豪じゃあるまいに書く必要もないんだが。なのに未練がましく、
どこかに残っているほんのちょっとの下書きがあるはず。
訳が分からないまま、ひどく後悔していることがある。10年前のあの伊豆での濃密な激動の出来
事を、なぜか非公開日記に書き残しておかなかったことだ。まさかあれほどの印象的なことを忘
れるはずがないと、高を括っていたんだと思う。大まかなことはまだ覚えているが、細かなこと
や遭遇した順番はもう忘れている。思い出すと、確か細切れにしてスピンオフのようなことは書
いている。
多分、あまりにも様々なことがありすぎた。伊豆へ3回行ったうちの1回目はまだ、私はきっと
何とかなると思っていた。それは2回目に行く前のこと。自分の無知が手伝って、降って湧いた
ような災難に打ちのめされて、書けなかったんだと思う。そのことをここにそのまま書けばこと
は済むのだが、どうしても順を追って書きたいと思うものだから。そうでないと、その次の3回
目の伊豆行きから戻った時のことが…。とすればもう、永遠に書けないじゃん。でも、書いたよ
なぁ私の父のことは。満月をめぐるとびっきりの不思議に気が付いてしまったもんだから、もう
書くしかなくなったもので。
ほ~ら…おまえは文豪ではないのだ…あきらめろおぉ…。
先日、母の長姉が突然干し芋を送ってくれた。手紙と、そしてお金も。手紙には、「H子(私の母)
は姉妹の中で一番やさしい子だった」と。お金は没後20年になるH子の供養に使ってほしいと。お
ばちゃんには、私よりさらに時間経過が速く感じたようだ。
なんて、もったいないことを…。
10年前、母の死を伯母に連絡時、母の兄弟姉妹はもう皆高齢で伊豆まで来るのは大変だし、母は
戒名も位牌もお坊さんやら葬儀は一切必要ないので、ただ遺灰を海にまいてくれればいいと生前
言っていたことを話した。「ああ、そう言ってもらえるのは本当にありがたいよ。おばちゃんた
ちこそ何も結ちゃんを手伝えなくて申し訳ないよ」と泣いた、やさしく面倒見のいい伯母。
そういう人であることは、私も十分承知していた。その時に母への香典も辞退する旨を伝えたん
だけれど、母の部屋を片付けてしばらく経ったある日、叔母の家で作っている自然農法の野菜と
一緒に、兄弟姉妹からの香典が届いた。何も手伝えなかったので、せめてもと…。
その頃私は母の相続にも手を付けあぐねていたのに、父方の面倒ごとが重すぎて重すぎて頭を抱
えていたものだから、そっちの手間はなくて楽だったなあと思っていたところだった。伯母や伯
父たちがそれを知るはずもないし、皆の厚意なのも痛いほど理解できた。
でも、正直に書くと、ああ…今からお香典返しの手配かぁ…。
ちなみに、ご存じかと思いますが、ゆうパックや宅配便の中に現金を入れるのは違法です。そこ
は品名に書かなければわからないわけですが、万が一事故が発生して紛失しても賠償はされませ
んので、お気を付けくださいね。現金書留で送るのが一番ですよ。<今は亡き元SD の妻より>
★ Maxwell - We Never Saw It Coming ★
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