カテゴリ: 市民活動
先日、NPOについての記事をアップしました。
ちょうど、事務作業に忙しくなる頃でもあります。 このたび、自分の体調他諸事情により、NPOの仕事から距離を置くことになりそうです。 これも、ともに活動している仲間のご理解とご協力があってのことで、それについてはとても感謝しています。 *** ずっとずっと以前に、私と同じく非営利活動をしていらっしゃる方がこのページを覗いてくださって、 活動についてのお悩みなどを書き込んでくださったことがありました。 同じような悩みがあるなあと思った覚えがあります。 同士の様な方のお話をうかがえてうれしかったです。 私は私で、ココは自分のページということもあったりして好き勝手なことを書いていますが、 それはそれで、結構、まじめに?(笑)考えてはいたのですが。 非営利活動。特定非営利活動法人。何度もこの文字を打ち込んで書類も作ってきました。 でももう、それもなくなっていくでしょう。 *** ここ10年くらい、いろんなことを考えて、書きつづったこともありました。 今、思うことは、非営利活動だからこそ、ミッションや思いを共有できないのは、 組織での活動としては致命的だということ。 これは、誰かが悪いとかいう意味ではなく、どういう団体であっても言えることなのではないかと思うのです。 例えば、営利企業にも、当然ミッションはあります。 大きなミッションを背負って活動していることには変わりない。 営利だからこそ、営業利益、経営にはシビアな面がついて回ります。 従業員に給与が支払われ、経営者は「経営責任」を背負う。 これは余談ですが、「経営者=社長 はぜいたくできていいよね」 と気楽に思う方もいらっしゃるかもしれません。 とんでもない。。。 経営者は、ともすると明日、自分自身が路頭に迷うどころか、従業員とその家族を路頭に迷わせてしまうかもしれない、そうなってはいけないという重圧を背負いながら日々、生きていたりもします。 利益が明確で、給与も払われる中で、ミッション遂行における組織運営は 営利企業の場合は比較的、はっきりしやすいというか、 NOもyesも分かりやすい面もあるのではないかと。 ということは、 非営利活動においては、その逆になる場合があるということです。 ミッションが共有できていなくても、 遂行できていなくても、利益という形が見えにくい。 本当は、お金という形ではない「利益」が地域に生まれていないといけないし それを図る努力もしないといけないのだろうけれど、可視化できていない場合、 「何か活動しているけれど、具体的な成果が見えにくい」 という場合も往々にしてあると思います。 そして、それに「甘んじて」いることだってできる。 社会に甘んじて、地域に甘んじて、組織に甘んじて。 そうしているうちに、地域がよくなることなんて、あるんだろうかと。 *** 私が今回考えたのは、 その団体のミッションと、団体の構成員が考えるミッション、そして自分自身の考えるミッション。 そしてこの、ミッションを「理念」という言葉に入れかえてみても。 さて、どうだろうということと、もう何年も私自身は葛藤してきたように思います。 何が正解なのか?間違っているのか? この辺り、正解がないというのが微妙なところなのだけど、 自分が非営利団体で、ミッションを背負って活動するには、自分のミッションが明確で、それが団体の中の活動を通して実現できるということがなければ、自分自身の原動力にはなり得ないというところに、ずっと引っかかりを感じていたのだと思います。 もちろん、構成員が複数の場合、「全ての考えが一致するなどということはあり得ない」 わけで、「ココは食い違うがココは共通している」というようなところで、擦り合わせながら、組織の中で活動を進めているのは誰しも同じなのかもしれません。 ただ、私がどうしても引っかかるのは、 理念の中でも「大事にしたいこと」について。 これが、運営するメンバーのなかで大きく食い違うというのは、 団体の舵を切って船をすすめていく上で、大きな障壁になるのではないかということ。 AかBか。 答えはないようなことがほとんどだと思う。とくに子育て支援、子育ては人相手。 それでも。「どうなんだろう。どうかな。」という話し合い、情報収集など、そこを煮詰めていって 「じゃあ、私たち(←この複数形が重要)としては、ココを大事にしたいよね」 というような中枢となる部分を持っている必要がある。 いや、そういう中枢がすでにあるのかもしれないけれど、 それは一体だれが決めて、誰のものなんだろう。 そこに賛同できない人は、その中にいることが難しかったりもします。 みて見ぬふり、または、感覚を麻痺させて言われたことをやるなら、できるのかもしれない。 それができないと、その中にいるのは結構厳しかったりもするのでしょう。 *** そういう現状が正しい、正しくない、という議論はもうすでに、私には必要なくなっています。 多分、そこから少し離れたところにいなくてはいけない状況で。 いろんな意味で、人生の分岐点?(笑) あなたは一体、どこにむかって生きたいの? というようなことを、ちょちょっと、自分と対話してみる時期だよ、と 自分が教えてくれたんだなと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.25 16:36:16
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