自分事(ごと)と他人事(ごと)
自分が、組織の役員を辞めてから、辞めたからこそ見えてきたことがあるように思います。役員会や理事会は組織の中でも一定の責任を負う人があつまり、組織運営について協議していく場所でもあります。詳しくは定款に定められていることがほとんどだとおもうのですが最高決定機関、が理事会、であったりもする団体があるかと思います。(団体による)***一般的に、理事会、役員会のような運営にまつわる会合は、そういう役員の人によって行われているわけで、その内容、決定事項などについては逐一、他の社員(正会員)に知らされるわけではありません。運営にまつわる会議は、組織がスムーズに運ぶように話し合いが行われているものと思われます。その都度、内容が社員に公開されることがない(必要がない)ということで、一般の社員(非営利法人などでいうと正会員)も、細かいことは知らされずに物事が進んでいくということがあり得ます。***私は個人的に、重要なことを決めるのに、役員会と総会、の両輪があると思っていて、どちらが欠けてもよくない。理事会で決まったことが承認されるのは正確には総会の場であったりしますが、年度途中で決定していかなくてはならないようなことは理事会決定に基づいて物事が進んでいくこともあり得ます。そのことについて、なんの不整合性もないのだけれど、その反面、組織自体は「理事会・役員会」だけで成り立っているわけではないという面があったりもする。実質、活動する社員(正会員)がいなければ成り立たないのだけれど、その社員(正会員)も、活動の方向性や、重大なことの決定について説明がないと分からないこともあるし理解していないことが増えて行くにしたがって安心して活動に携われなくなるということはないだろうか。役員なりそちらの側で話し合っている人たちはいつも「自分事(じぶんごと)」として話をしているし、そうやって物事が動いている、動かしている様のそばにいるのだけれどまったくそれを見ていない人たちがいるということに思いをはせているだろうか?(じぶんも思いをはせていただろうか?)***役員会以外に、役員会で決まったこと、話し合われたことを議決権を持つ社員にシェアする場所の必要性。単なる指示、活動のための協力依頼または、決定前に(アリバイ作りの意味ではない)意見収集をしたい等活動をスムーズにしていくために、共有できる場を設けるのは必須なのではないか単に、このタイミングで行うことが決まっているから開催するのではなく、もちろん定期の会合を定期に開く中で大きな決定についてはその都度、「会員」の権限を持つ人には丁寧に、もれがないように説明や伝達をするその大切さを今になって痛感しています。方法なんていくらでもある。「集まりに来ないから説明できない」(からやらない)ではなく、説明する方法なんていくらでもある。***重要なことを多人数では決められないけれどその決定事項を、どういうタイミングでどういう形でシェアしていくのか。思いを持って関わっている人たちのモチベーションは放っておいて勝手に上がるわけがない。「各個人の意思で関わっているのだから自己責任」という考え方もあるのでしょうか。組織はチームです。勝手に集まって、勝手に活動しているというのとも違う。ある目標に同じ方向を向いていこうとしている人の集まりであるとするなら、指標を示す人は先頭のグループだろうけれど示すことでその他のメンバーが共にそこを目指せるように共有しながらモチベーションを保てるような工夫も同時に必要なのではないか、などと思うのです。それぞれのメンバーが、活動の大事なところについて「参画している」「わが身のこと」と感じられなければ、(自分事として考える)おのずと活動に積極的に携わることもしなくなるのではないか。他人事なら、自分は関わらなくてもいいことなのではないかと。どこか遠くで、中心になる人たちがメインでやっていることなら自分からは遠い話。いてもいなくても関係ない話なのでは。そんな風に思うメンバーはいなかったのだろうか。営利か非営利かに関わらず組織で動くために必要なことはトップダウンだけではないなにかがあるような気がするのです。