カテゴリ: 市民活動
「昔はね」という話をすることが嫌われる側面が昨今はあるかと思います。
「昔は昔、今は今」 たとえば家事育児。 昔と今は違います。(昔とはいつかということにもよりますが) 自分が子どものころと比べて言うと、そして進んだ家庭で、という前提だと 家事でいえば ★掃除はロボットがしてくれるようになった ★食器洗いは食洗機 ★洗濯は乾燥まで全自動OK ★(家庭によっては)男性の参画 育児でいうと ★おむつは布ではなく紙で使い捨て ★ベビーカーやチャイルドシート、おんぶひもなどの進化 ★子育て広場などの場が増えた ★早期教育する親の増加 ★女性の社会進出(社会の理解と保育園の整備) ★(家庭によっては)男性の参画 などでしょうか。 そして全体で言えることとしては、 スマートフォンやインターネットの普及による SNS利用率の向上による生活の変化 ということもあると思います。 とにかく、いろいろなことが日々大きく変化しています。 *** livedoor社創設者の堀江氏が某大学の卒業式で送辞として話していたように ここまでスマホが普及し、今のような生活になるということを、10年前、5年前の自分がはたして 予想していただろうか。 というくらい、生活が変わっている部分もあります。 今や、スマホやインターネットのない生活は考えられないという人も多いでしょう。 ところで、昨今では「老害」などという言葉もあちこちで見聞きすることがあります。 昔の人の考え方で若い人を縛ることによって生じるいわゆる「障害」のことを言うのではないかと思います。 自分の年齢がだんだん、その「害を及ぼす」であろう側に近付いていることに、 最近ふと思いをはせることがあって、少し考えさせられることがあります。 *** 時代が変わっていくから、「もう昔の話は要らない」といったような表現を耳にしました。 時と場合によりますが、私は少し、違うなと思うこともあるのです。 今の時代、何をどうしていくか、次世代を担っていくのは若者ですから その人たちの興味、関心、考え方などが世の中を大きく動かしていくことには 変わりはないと思います。 しかし「今の若いもんは」という言葉にも表れますが、 年を重ねてきた人たちの中で、時代の変化を認識していない人や 自分たちの生きてきた軌跡が絶対だという考えを持っている人は とかく、若い人たちのやっていることや好きなことを否定しがちなのかもしれません。 それは、 自分たちが長年たどってきたことを、若い人を肯定することによって否定されるような感じがしてしまうからかもしれません。 私もかつて、親世代の人に「今の若いもんは」的な言葉を投げかけられ、 その言葉というよりも「心の持ちよう」というか「姿勢」に対して、拒絶反応が出てしまうことがありました。 否定から入ってこられると行き場を失うのは、年齢によるものとは限りません。 先日、とある場所で「年寄りを敬うべきかどうか」という話題に触れて こちらもあれこれ考えさせられました。 「年をとっているだけで、偉いと威張る老人はおかしい」 というくらいに糾弾?されていましたが、ここも考えさせられるところです。 *** 私は、個人的には、年齢を重ねている人は経験も重ねている場合が多いのではないかと思うのです。 たとえば、子どもの年齢が乳幼児の人と、成人した人とでは、 子育て経験という意味では、「経年」的には多くの経験をしているでしょう。 (これはどちらが偉いとかそういう意味ではありませんので、念のため) それ以外についても、経験値といえば、年齢や経験年数によって経ていることが多くあると思います。 逆に、新しく生まれてきたさまざまなもののことを年配の人は知りません。 お互いに知らない世界がある、という世の中になりました。 昔は、年配の人がやってきたことをそのとおりに踏襲して歩いていく場合が多かったので、 おのずと年配の人が絶対的にものを知っていた、だから自動的に「年寄りは物知り=敬う」に なったのかもしれません。 それならば、それぞれが「知らない世界がある」ということを理解しあい、 伝え合う、ということは必要ないでしょうか。どうせわからないことでしょうか。 *** 実は今日、私はある場所で昔話をしてきてしまって、 「昔話はもういらない」というような言葉にも触れて、いろいろ考えてしまったのですが たとえば、 組織とか団体とか家業とか そういうものを、次の世代に受け継ぐ受け継がない、というような話になったときに、 良いか悪いかは別として 「どうして、それが生まれたか」 「どんな思いで作られ、継続されてきたか」 くらいは、次世代へ伝えることがあっても良いと思うのです。 そして、それらを聞いたうえで次世代の人が「どう思って」「何をしたいか」 ということが重要なのではないか、と思うのです。 そこで語られる話や、何かのノウハウについては、 決して「くだらない昔話」ではないと思うのです。 ただそこで気をつけたいのは「ねたみ」などの感情ではないか、とは思うのですが。 「若いくせに楽をしてけしからん。自分たちは苦労をしたのに」 みたいな話になると、どうしても、聞く側の人は素直に聞けなくなってしまうと思うし、 話す側もだんだん、腹が立ってくるでしょう。 感情は湧いてきてしまうものだから、押さえつけることは難しいかもしれませんが、 それによって、お互いが理解できなくなるのももったいない話だなと思うのです。 いい意味で、お互いの得意分野をシェアしあったり、頼りあったり助け合ったりすることができれば、 世界は広がるのかもしれませんが、いかんせん、それも口で言うほど簡単ではないのかもしれません。 どちらがどのようにリードしていくのがいいのか? いずれにせよ、 上下関係で物事を考えず、違う考えをいったん受け止める力、というのは 必要になり、試されるポイントかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.25 17:55:15
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