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まったり Oneday

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2016.01.28
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カテゴリ: 市民活動
またもや長文なのであらかじめ、あしからずです。

前のブログにも書きましたが

2年ほど前から、市民活動の場からすこし遠ざかっています。

年が明けてここ半月ほど、少し体が軽くなったので、実は、所属していた団体の会合に顔を出しました。
外に出ていくことや人と話すことも、少しずつやっていかないといけない、というような、これも思えば
ちょっとした強迫観念とも言えなくはないかもしれませんが。

この団体は、小さいお子さんのお預かりをしていて(このブログにも昔から時々活動について書いてきました)
このごろでは、なかなか預かる活動の従事者が集まらないことが多いそうです。それについての対策?の案を話す時間がありました。

グループに分かれ、意見を出し合うワークショップみたいになりましたが、時間があったので、一人ずつ意見を述べるという時間が持たれました。

私は、ずいぶん久しぶりに顔を出し、そして多くの人の前で何かを話すのはとても久しぶりではありましたが
聞かれればこう答える、というのが自分の中にとどまっていて、口からその思いが出てきます。

ご多分にもれず、この日もそうして、ここのブログに書いてきたようなことを話しました。

会合が終わった後も、いろいろと考えることがあって、
なんというか、たぶん、初めから自分の中でもろもろの整理がついていないのだなということに気付きました。

自分の経験と、してきた思いから、社会がこう変わってほしいという漠然とした思いはあるのだけれど
それが
「具体的にどうすればどのように解決していくのか」

ということが、自分の中できちんと構築?されていないのではないかということです。

思っていることと、実現させたいこと、それに対して具体的にできること、やっていくべきこと、がモヤの中にあってどうしたらいいのか分からないという状態。

かつては、託児などの活動、この市民活動の中で必要とされる活動を続けることで、その一端を担っていけると信じていたので、何らかの役割をその中で果たしていこう、やれることをやっていこう、というような漠然とした思いで続けてきたのかもしれません。

そこでふと思いました。

そういった「思い」というのは、ともすると、「ウザく」耳に入りやすいのではないか?

思いがなければ活動なんて続かないとは思うけれど、
それを持って何をどうすることが必要なのかを、「どうやって」「誰につたえるのか」というすべを、私は持っていないというか、いまだ持って未熟なのだということに気付いた気がします。

***

だから、いくら一生懸命に話しても、中身がない、というか。
いや、中身がないわけじゃないとは思うけれど、「訴えかける力」としては、パワーを発揮できないのではないか。
そして、なんというのか
そういう「前向き傾向」、というのか、最近では「意識高い系」なんて言葉も耳にしますが、
そんな「真面目っぽい気持ちや意見」が煙たがられる傾向がもしかしたらあるのかもしれない。

「真面目な難しいこと言われたって、できないよ」って思われるのではないか。

そして、もはや、自分が「そういうちょっと煙たい雰囲気を醸し出してしまう存在になってしまっている」のではないか。
話している中身や私の思いなどと関係なく、
「真面目に語るあの人が煙たくてうっとおしい」

という、そういうことなのではないか、と。

人が受ける印象はその人自身が持つものですから、それがどうなるか想定したうえで何事も発信しなければ、そしてその場にいる誰かの手を借りたいと思うのであれば、そこを考えなければうまくいかないのかもしれません。
ただ自分の気持ちを出すだけでは、未熟なのかもしれない。

なんだか、自分があれこれ話していることが何年も変わっていなくて、でもそれを聞いて「なるほど」と思った人がどのくらいいるのか。それすら分からないし、実質「時間食うよね」ということになっていないか。

会員の一人として、意見を持つのも聞かれたら話すのも、もちろん自ら発信するのも決して悪いことではないと思っています。むしろ、黙っていてはいけない、とすら思っていました。

でも今回、改めて感じました。
こんなやり方では、なにも動かない、どうにもならない、ということを。

そして空回りする自分にすっかり嫌気がさしてしまう。
これが、もろもろのモヤモヤの根源だったのかもしれません。

誰もわかってくれないという被害者意識はもう、手放さなければなりません。
私が、「わかってくれない」と思っている人たちが、わかってくれない、のではない。
自分のやり方の問題、自分の覚悟の問題、自分のキャパの問題。
それらを、自分で咀嚼して、きちんと整理できていない。

なのに「これはこうのほうがいい」
という理想ばかり語っても、何も動くはずがない。

自分が思うように思うことができなくなって、ますますそこが明確になった気がします。

でも、本当に自分がどうするべきなのか、ということは
簡単には答えが出ないのかもしれない。
というよりは、知恵を絞った案であっても、「受け入れてもらえないかもしれない」という不安は、簡単に払しょくできないような気がしているのです。

ここに、ものすごいエネルギーを費やす意味は何だろう。
私ももはや、人を信用していないのではないか。

***

「有償の費用が低いから」
「魅力がない」

などの声に、ショックを感じたというのもあるかもしれません。
なぜなら、そういうこれまでのいろいろを否定する表現は「モチベーションのありか」を伝えてこれなかった人の責任なのではないかと思ってしまったからです。そして私もその一人。

黙っていても「雇用されたい」と人が集まる就労とは性格が少し違います。
いくばくの有償費用は不可欠としても、それが何十円安いからとかそういうことではなく
「それを継続していく理由」というのがあったから、自分はやってこれた。
でも他のメンバーはわかりません。
やりたい人がいなくなれば、やめればよい。(やめるしかない)。
それも一つの答えかもしれません。

でも。
なぜ、続けたいと思ってきたか、ということを聞かずに、
「こんなおかねで活動できない」「プライベートの時間を削りたくない」
という理由だけで、「やっても仕方がない活動」と思われるのが、とても残念な気がして仕方がないのです。
だから、伝えうることなら、今自分が話そう。
そんな使命感を持ってしまって、話してしまったけれど、
はたしてそれが効果的だったのか。良かったのか、悪かったのか。
ここ2日ほどぐるぐるそんなことを考えていました。

結論はもうだいぶ前に出ていたはずです。
なのに、少し体調が戻った私は「まだ自分には何かできることがあるのではないか」などと思ってしまった。
もうそろそろ、自分にできることとできないことをきちんと仕分けして、
まずは身近な小さなできることを積み重ねていくしかない。
そこに立ち戻らないといけないなと思ったのです。





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Last updated  2016.01.28 15:05:01
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