カテゴリ: 市民活動
団体活動について時折記してまいりました。
年末年始、というと、3月じめの団体の場合はそろそろ、 次年度の活動の準備や計画が整ってきているべき時期でもあるかと思います。 先日の記事に書いた広報担当から考えたことを続きに加えてみたいと思います。 *** 自分は過去に、複数の団体の長を経験させていただいたり、 団体、とはいわずとも一つのセクションの長、みたいなのもさせていただきました。 その時思ったのが、前も記したかもしれませんが 「長は孤独」 ということ。 でも、逆に色々集約している立場でもあるので、 自分の意見をもち、仲間に呼びかけやすいという良い点もあると思います。 長、を経験することの大切さは、 一人で担うが故の「孤独」からの「学び」だと思っています。 もちろん、相談に乗ってもらうひとが居るかもしれませんが、 最後の最後には、自分が責任を取るのだろう。 というような、感覚があるかと思うのです。 どこかの会合へ、代表として出向く。 それも、その団体を代表するいわば、「顔」として出かけるのです。 総括した存在というよりは、 団体の人たちの想いにより進めたい活動をしている団体の 「人格」の代表として出かける感じでしょうか。 そのときは、きっと一人、ですし、独り、かもしれません。 でもその、一人、が自分を強くする。 なぜかというと、代表としての顔として言葉を発するには 相応の覚悟がいると思うからです。 自分たちが、何を目指して、どういう課題に向かっている「から」 こういうことを行っている、そして 是非、協力してほしい。ということを伝える。 そういうことをはっきり伝えるには、ビジョンを持っていなければできないと思うのです。 *** 団体のビジョン。 それぞれの想いはありながらも、 目指すものが明確ならば、「そのために」「今何をするのか」の攻めの姿勢、が あってしかるべき。 逆に、毎年こうだから、こうしとけばいいか、みたいな なんというかそういうサイクルの考え方だと 「長とか何の役が必要だからだれかやって~」みたいになる。 「忙しくて会合出れません」と言う人にも 「名前だけでいいから」みたいになっていく。 そういう人の集まりになっていくと、 団体の役割の中味が形骸化して、機能していくには困難です。 企業の賞与査定のようなことがないので難しい団体ですが、 それでも、 自分の仕事に誇りを持ち、 目標やミッションを持って日々、携わる人がいるのと そうでないのとでは、 年単位で色々なことが変わってきます。 使命、が第一の団体などではなおのことです。 お金をさほどもらえないから人が減っていく? ・・・そうではなく、 その中で「自分の思うやり甲斐を得られないから」 人が減っているのだと思います。 お金をもらえればなんでもやる、なんてことは ない。 経済学の番組でも報酬額との関連を特集していましたが、 「具体的にこう必要とされ自分がその役割を担っている。担う活動をしている団体のなかの重要な任務だ」というプライドがあるからこそ、関わり続けられるのではないかと思うのです。 人が居なくなる。 お金がほしい? お金がより多く手に入るなら無理できる? もう(さらに?)そういう世の中ではなくなってきているのではないでしょうか。 日々経営に携わっていらっしゃる方なら「それはそうだ」 と、とっくの昔に、そんなことはもう、分かっている。というレベルの話かと思います。 使命、やり甲斐、自分の存在や活動意義。 それらが、活動を支えるのであって、 そこをリードする人、ビジョンがなくてはならない。 このまま関わり続けていて、どうなっていくのか。 これまでの実績を振り返りつつ、 次はココを目指す、という明確なビジョンがあるでしょうか。 そういう考え方を指し示すことで、賛同者があつまります。 明確なビジョンを指し示すこと。 指し示す人も、よくよく検討が必要ですし、 社会問題をきっちりととらえる必要がありそうです。 *** 私は何かときっかけづくりをこれまでやらせてもらってきましたが、 それも自分の中にビジョンがあったからできたこと。 Twitterでは、600人近いフォロワーさんが支えてくれています。 せめてこのツールの良さ、楽しさを知る人に引き継いで行ってもらいたい。 若い人の現場の声を出していってもらいたい。 その一心。の年末でした。 古い人がいつまでも頂にいても仕方がないのです。 そこまで誰かを導くことができたなら 次なる道を拓くのが、一度頂へ登った人のミッションだと 私は思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.12.29 15:56:03
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