カテゴリ:剣道関係
最近も、小4の三男の剣道のお稽古の送り迎えをしています。
昨年の夏、自分もお稽古復帰をもくろんでいましたが、いまだ達成出来ておりません。 見ていると竹刀を振ってみたくなりますが、もう10年前とは体型やら体力やらが違いすぎてままならない自分がいます。 ふと思うのは小中学生に交じって、初心者(一応有段者ですが、初心者に近いのではと思っている自分) がお稽古をさせてもらうのが、なんだか邪魔になっていそうで気が引けたりもする。 よその小学生は、もし親御さんが初心者で始めたら、「恥ずかしい」という。 そうか、恥ずかしいのか。 今日もお稽古を見ていて、 ああ、当然ここにいる小学校高学年の子のほうが自分より数段上手じゃないか。 有段者といえ私みたいな人が混ざると、体力的にも技術的にも、若い子たちにかなわないのは 明白なのです。 だったら邪魔にならないように…ほかの父兄の方もどう思うのかなとか…。 *** いろんな年代の、いろんな段階の人が関わる武道です。 試合などではその実力が歴然とすることもあるので、 体力などピークを迎える年代の人が、いざ試合をすると強い感じはある。 しかし、それがすべてなのだろうか。 初心者で大人、上手な小学生。 試合して小学生が勝てば、小学生のほうが強い。 強いのだけど、さてそれだけだろうか。 武道の目的は、試合で勝つことだけではなかったりもする。 そこでお稽古に通う中で、自身の身についてくることがあり、その人の人生に影響を与えることもある。 人生にプラスになるような、精神的な何かも身につけて行くのが最終的な目的といっても過言ではない。 そう思うと、 若いころの体力技術、試合での勝敗、だけが、大事なことなのだろうか。 *** 試合ですごく強い人だけが、指導者に向いているわけではないかもしれない。 指導者、というと直接的に何かを教える人の意味合いが強くなりがちだけれど、 その場にいる人はみんな指導者じゃないかと私は思っています。 たまに来られて指導くださる方も、送り迎えする保護者も、一緒にお稽古する他学年の人も。 何かを得ようと思ったら、どんなことからでも学ぶことができそう。 仮に、50を過ぎた人が、過去にさほど強かったり結構なところまで極めたような人じゃなくて もう一度、お稽古に臨もうとしたならば。 (その姿勢次第だとは思うのですが) 体や様々な条件が違うのに、あえてスタートする、お稽古に加わる姿を 子どもたちは、その他の人たちは笑うだろうか。悪く言うだろうか。 言う人がいるかもしれない。 ただ、人が人に対して 「あの人はすごい」 と思うのは、単なる才能や技術に対してだけだろうか。 それだけでは語れない、何かを感じて、批判したくなったり、一緒にやりたくなったりするのだろう。 一言では語れないものがきっとあるはずだとは思う。 歳を重ねた人が偉いわけじゃないと思う。 けれど、重ねなければわからなかったことを知っている可能性もあるし(全員ではなくても) 直接的にお稽古には関係ないことでも、 年の功、があったりもする。 そういう意味では、必要以上に技術だとかそういうことばかり気にしなくてもいいんじゃないだろうか? 自分がこうして、本調子じゃないことを言い訳にしているようにも聞こえますが? 子どもの成長と、自分の衰えと、お稽古の場と。 日々、いろいろ感じています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.01.12 23:26:36
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