小さい頃の欲求
知人のご主人の話しです。ご主人は4~5人兄弟の末っ子のご主人は、小さい頃ほとんどが兄弟のお下がりだったそうです。基本的にはお下がりだけど、必要な物は買ってもらってたって思いますか。それが違うんです。だから、穴の空いた靴を履き続けたりもしていたそうです。熟れた桃を食べさせてもらえなかったから、今でも桃は青く固い物の方が好きなんです。ノートも最後まで使ったら、全部消して使わなくてはならなかった・・・貧しいという理由が考えられますが、実はそうでは無くてご主人の母親がいわゆる昔話に出てくる業突く張りな婆だったんです。仕事をするようになっても、お給料をすべて母親に取られてしまったのでまともに自分のお金として使った事がないのです。その頃の反動は、結婚後に出てしまいました。物の価値が解らないのです。今は安くて良い物が当たり前のようにありますが、その基準がご主人には無いんです。金額が高ければ良い物だと思い込んでいるし、欲しいと思ったら買わないと居られないんです。小さい頃に出来てしまった欲求の固まりが今大爆発を起こしているのです。買えば満足するので、例えば洋服なら一度袖を通して後はタンスの肥やしです。そして、それはご自身の末っ子へも影響し、末っ子も欲しい物は手に入れないと納得しないのです。末っ子もママが駄目だと言ってもパパに言えば「買ってやれ」と言うのが解っているので、欲しい物があるとパパに言う事で買ってもらえる事を小さい頃に覚えてしまいました。パパに「買って」と言わなくても良いんです。「ちょっと見に行こう」と言えばそれで良いんです。そして欲しそうにしている末っ子をパパが見ると、きっと自分と重なって見えてしまうのでしょう・・・ママに「買ってやれば?」と言うのです。だけど、末っ子に買い与えてそれで終われば良いのですが、パパさんはそうなると自分の物欲も刺激されてしまうので、結局パパも何かしら買う事になるのです。今日、友人と会った時にそばに居た親子のやりとりに目が離せなかったのです。どんな光景かと言うと、親が子供に対して怒っているのです。叱っているのではなくて、怒っているのです。子供ながらに理不尽に怒られているのが解るのか泣きながら一生懸命訴えていました。手間取ったのが子供のせいだと怒っているのです。子供はよそ見をしていたのではなくて、一生懸命ママの後を付いて行って居るにも拘らず距離が空いてしまうらしく、その度にママに急かされてそれでも追いつかなくて・・・ママは何を急いでいたのでしょう。解りませんけど、聞いていてもなんだか子供が可哀想でした。そんな感じで今日はそういう親子を3組ばかり見つけてしまいました。小さい頃の事が大人になっても出るのだと言う事を聞いたばっかりなのに、今日見た親子達・・・あの子供達が大きくなった時、いったいどんな大人になっているのでしょう・・・もちろん、あーいう親を反面教師に見てそういう大人にならないかもしれませんし、早い段階でそういうものだと理解して変な形では出ないかもしれませんが、満たされなかった欲求がどういう形で出てくるのかを想像するとちょっと怖い気がしませんか。そして、犯罪を起こしても精神面ということがネックになって罪を償う事が出来ないという状況になる事だってあるかもしれませんよね。そんな犯罪巻き込まれてしまった被害者の家族の怒りはどこへ向かえば良いのでしょう・・・全部が全部そうだとは思いませんが、いま起こっている数々の犯罪はもしかしたらそういう小さい頃にもらえなかった親の愛情への欲求が曲がって出て起こした物なのかもしれないそんな風に思いました。その親子の中には、実は子供になかなか恵まれなかったというご夫婦も居たかもしれない。それでもこうして今現実にお子さんがいらっしゃるのだから恵まれないご夫婦へのせめてもの気持ちというか、恵まれた以上責任もって育てて欲しい。そう願って止みません。