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カテゴリ:食の安全
2013年11月9日土曜日
あれから2年と八ヶ月復興の槌音も響き地震の災害からの精神的脱却は 大分進んできたとは思うがまだまだ凄まじい破壊の爪痕は残り、避難を 余儀なくされている方々も数多い。 地震被害さえ未だ悲しみと苦しみを残している。 ましてや終わることが無いとも思える放射能被害の被災者の悲しみは この比ではなかろう。 マスコミは「絆」だの「共有」だのと綺麗事をならべるがはたして どれだけの東日本に暮らす人たちの悲しみを「共有」しているか? 破壊を免れた地や何事も無かったかのような里山の自然も原発に近づく程に 姿形こそ311以前と同じでもそこには厳然たる放射能の被害が未だ存在する。 元髭も福島原発から120km、女川原発にほど近い石巻市に畑を耕している。 2010年に印刷工場の移転と自然農法による安全な野菜供給のための試験栽培を 目指し購入、荒れた畑を整備している最中に「東日本大震災」がやってきた。 その後、放射能が降り一時は就農を諦め移転も取りやめてしまおうかとも 考えたが「楽天のショップユーザー」様からの励ましが多数寄せられて 「世の中そう棄てたものでも無い」と思い直し今日に至っている。 その間「SNS」等から情報を集め、放射能による影響はマスコミで言われて いる様な安閑としていられるような状況ではないと判断するにいたり 程なくして「TPP」の問題や遺伝子組み替え生物の危険性をしり やはり、安全な作物は自分で作るしかないとの思いに至った。 山の恵みは遙か岩手県や山形県でも遙かに基準値を超える放射能が検出 されている事を考えると先ずはキノコを試してみようと2011年に柿の木 と胡桃の木を伐採、ほだ木の準備に取りかかる。 2012年3月、放置していた伐採木をほだ木にすべく断裁、殖菌 日陰を作り、ほだ木を菰で保護、9月まで毎週水やりをして秋雨のころに 野に放つ。 そして、10月 漸く「なめこ」が発生する。 しかし、本格的に発生するのは殖菌から翌々年。それが今年。 2012年の茸は発生量が少なくて放射能検査に出せなかった。 原発から120kmのこの地でも、柿や筍からは放射能が検出されている。 当然、これほど苦労して茸を生産してもとても「安全」 等とは言えない。 ましてや福島県内中通り以東の山間地に住まう人々の悲しみたるや 如何ほどのものか? 明日は日曜日、生業の「ハンコ屋」から50km離れた石巻の我が畑に 茸の収穫と畑の整備に行く予定だが、未だにキノコの事やタラの芽 筍などの山菜を考えると美しかった浪江や双葉の里山を思い出し そこに住まう人々を思うと悲しみがわき上がる。 うらめしや、原発 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.09 11:30:49
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