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カテゴリ:食の安全
昭和前半生まれの人達には理解できると思うが。
私の子供の頃は卵さえ滅多に食えないしハムやウィンナーなんて まず、食卓に上る事などなかった。 肉といえば鯨肉で豚の細切れ位はたまに見かけたかな? つまりは好むと好まざるとみんなベジタリアンなのだ。 貧乏人は麦を食えと言った宰相がいたが、麦はともかく 食卓は星飛雄馬の親父がひっくり返す事で有名な丸いちゃぶ台に家族揃って 一汁一菜+アルファなんてのが当たり前。 飽食の時代に突入して家族の食事も様変わりしたが、いつも思うのは 人間は食うために生きていると。 朝、育てている野菜を収穫する。 ズッキーニ、トマト、ピーマン、胡瓜、茄子、インゲン、シシトウ、オクラ、ブルーベリー等 取り立ての無農薬野菜を軸に朝食を作る(もっとも、料理は妻だが^^;) これが、今朝のお膳である。 茹茄子と焼き南瓜のシシトウ味噌、オクラのナメコあえ、ズッキーニと胡瓜と茄子、茗荷、青紫蘇、根生姜の一夜漬け モロッコインゲンと人参、油揚げ、糸蒟蒻の煮付け。 これに、牛乳粥と梅干し。スイカとトマトのデザート。 タンパク質が殆ど無いが殆ど自家製。 自給自足に近づくにつれ、これほど贅沢な食事も無いとも思うようになった。 農薬「ゼロ」放射能「ゼロ」遺伝子組み替え「ゼロ」 なにより、素性がはっきりしている食べ物が殆どであること。 自ら作った野菜だから、当然美味しく感じる。(多分本当に美味しい) 貧乏な頃のほとんどタンパク質のない食事と見た目は似たようなものだが 嘗ての都会生活では絶対に味わえない食事をしていることは間違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.05 22:15:20
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