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2014.02.08
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カテゴリ:歴史の勉強
今、日本の通史を勉強していますが、

その一貫で読んでいる井沢元彦さんの「日本史入門」講座 朝幕共存と天皇教の巻で
興味深い部分がありました。

私が追求している、「日本はなぜこれほどまでに絶対的な天皇の権威があるのか」
という問いに答えてくれそうな本なのですが、まだ途中です。

そのなかで、そうだったんだ、という部分がありました。

なぜ平家を滅ぼした功績のある義経が頼朝から追われる立場になったか、ということです。

頼朝は後白河法皇に「頼朝に政権を任さざるを得ない」と思わせるためには
平家が持ち出した三種の神器を取り返すことが先決と考えたにもかかわらず、
義経は、平家を滅ぼすことに邁進し過ぎて三種の神器の一つを失ったことに
激怒したことが原因のようです。頼朝にとっては別に平家を滅ぼす必要はなかったのです。

それから、頼朝が政権を得るためには、賞罰を与える権限が必要であったにもかかわらず、
義経は後白河法皇の策略に引っ掛かり、法皇から与えられた賞を受けてしまった。
これにより、賞罰は法皇から与えられるものと認識されてしまうという前例を作ってしまった。
これにも頼朝は激怒した。

義経は戦の天才であったが、政治の感性が全くなく頼朝の考えが全く理解できなかったそうです。

こういうことであれば、義経の不運が納得できます。

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最終更新日  2014.02.09 07:30:13
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