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カテゴリ:歴史の勉強
私はなぜ天皇は2000年に渡って滅ぼされずに崇められるかというテーマで研究しているが、2000年に渡ってというのはわかってきたが、初代がなぜ崇められるかがわからず様々な書物を探っていた。
ちなみに2000年に渡って崇め続けられたのは天武天皇が日本書記で天皇の凄さを宣伝したのと、藤原氏が、権威の天皇と政治権力の分担により安定した世を保つという仕組みを作り上げたことが大きいと思う。歴代の政治権力者は天皇を上に祀った方がやりやすかった。 では初代がなぜ崇められたかについて参考になりそうな書物として「舞い降りた天皇」加治将一著を読んだ。 結論から言うと初代天皇神武天皇は朝鮮、壱岐を経由して渡来してきたシナ人で、北九州の伊都国の国王になった。新倭人として日本に溶け込んでいるが、後漢からの追求を逃れるため、倭国の100の国は乱れており、やむを得ず卑弥呼を祀りたてたと後漢が感じるようにし、王のいない得体の知れない国を装い、後漢の追求を交わしたと説いている。 このことにより魏志倭人伝には卑弥呼のことを書くしかなかったと説いている。シナからはあらゆる技術や文化が伝承され伊都国はさかえ、王(神武天皇)の見事な戦術で後漢から守った。しかしそれでも後漢の追求を避けるためヤマトの三輪へ移動した。これが神武東征だと言っている。 皇室の成り立ちの根幹であるため、これを書いた加治将一はあるすじから狙われていると本人は言っている。 初代の凄さがわかる一面だが、加治のほかにこの説を唱えている人は見うけられず、鵜呑みにはできない。 舞い降りた天皇(下) 初代天皇「X」は、どこから来たのか [ 加治将一 ] にほんブログ村」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.03 07:05:49
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