こころの交流〈引用ノート6〉
チャリング・クロス街八四番地のみな様へ 美しいご本をご恵贈くださいまして、ありがとうございました。総金縁の書物を手もとにおくのは、私にとってこれがはじめてのことです。そして、とてもお信じになれないでしょうけれど、あの本、私の誕生日に着きましたの。 みな様、礼儀正しくていらっしゃるので献辞をカードに書いてくださいましたけれど、なぜ見返しに書いてくださらなかったのでしょう。どなたも古本屋さん気質まる出しね。見返しに書くと本の値打ちが下がるので、おいやだったのでしょう。現在の所有者であるこの私にとっては、見返しに書いてくださったほうが、よっぽど値打ちがあるのですよ(そして、たぶん、未来の所有者にとっても。私は見返しに献辞が書かれていたり、余白に書き込みがあるのが大好き。だれかほかの人がはぐったページをめくったり、ずっと昔に亡くなった方に注意を促されてそのくだりを読んだりしていると、愛書家同士の心の交流が感じられて、とても楽しいのです)。 『チャリング・クロス街84番地』 (ヘレーン・ハンフ編著 江藤淳訳/中公文庫)※
好きな本を尋ねられたら、『チャリング・クロス街84番地』ははずせないような気がする。まず。その昔、書籍編集者の友人から「これ、あげる」と、なんと云うこともなく手渡され、なんと云うこともなく読みはじめたときの驚きが忘れられない。本がたくさん登場する、書簡、仕事のはなし、とくれば、それだけで食指がうごくというものだ。それに、このものがたりには、正直さ、ユーモア、思いやりが満ちている。自分が正直さ、ユーモア、思いやりの3つ全部を失っているという残念過ぎる事態は滅多にはないとしても、ひとつかひとつ半くらい、どこかに置き忘れたとか、3つが少しずつ欠けた状態にあるということなら、日常的なはなしだ。この本を読むうち、正直さ、ユーモア、思いやりを、たやすくとり戻せるように感じられる。そこには錯覚も混ざっているにちがいないけれど、とり戻す勇気は分けてもらえる。 アメリカはニューヨーク在住の、ヘレーン・ハンフ———当初自らを、小娘、貧乏作家と名のる———という女性が、絶版本を専門に扱うイギリスはロンドンの古書店マークス社に宛てて出した古書の注文書が、いつしか、例の3つの佳きものの満ちた手紙になってゆく。そうして、佳きものを受けとる資質に恵まれたフランク・ドエルはじめマークス社の一同のあいだに、書簡が行き来する。最初の手紙はヘレーン・ハンフが書いた1949年のもの、最後のは1969年、フランク・ドエルの長女シーラが書いている。 内容をもう少しくわしく明かしたい気持ちをおさえるためにも、「ほんとうは……」と書いてしまってもかまわないだろうか。ほんとうは、ヘレーン・ハンフの手紙のニュアンスは、もう少していねいで、よそよそしいものだったと思いたい気持ちがある。そのニュアンスはもちろん、評論家であり、翻訳をいくつも手がけている江藤淳氏の洞察の結果である。それはわかっている。もう少しだけていねいで、よそよそしいは、つまるところ、わたしの好みだ。 しかし、フランク・ドエルは、どこまでも英国的紳士である。控えめでありながら親しみをかもすのだ、書簡のなかに。お見事。
古書が好きである。 これは、わたしにしてはめずらしい明快な結論だ。 古書が好きである。古書に見え隠れする前の所有者の痕跡、気配を受けとるとき、それをこころの交流と呼びたくなる。 古書ばかりでなく、古いものを、たいてい好きだ。 ということを、ここで宣言してみたくなっている。そうすることによって、もしかしたら、これまでたいした理由もなく「古もの」を敬遠していたひとのうちひとりかふたりくらいが、「わたしも、好きになってみようかな」と思ったり、「少なくとも、怖くはなくなった」と考えるようになるかもしれない。そうなったら、どんなにかうれしい。
※この本には、「書物を愛する人のための本」という副題がついています。 英語で読みたい方には、『84,Charing Cross Road』(Helene Hanff/ペーパーバック)をおすすめします。 なお、この作品は映画化されています(「チャリング・クロス街84番地」1986年/アメリカ)。出演:アン・バンクロフト、アンソニー・ホプキンスほか。
これは、なんでしょうか。
ふたをあけました。ほら!左から……・アスパラガスのきんぴら・豆腐とピータンの和えもの・きゅうりと新玉ねぎの梅酢和えこんな平べったいたのしい籠に入った、甘納豆をいただきました。甘納豆も弁当の箸休め、茶請けに活躍しましたが、籠もまた……。遅く帰ってご飯をひとりで食べることになるひとの、小さなおかず入れとして使っています。そして、こういうのが、わたしの考える「正直さ、ユーモア、思いやり」です。これのどこが、正直さかですって……?それはね、こちらの思いが正直に料理に映るところ。