選択
「役にたたないもの、 美しいと思わないものを 家に置いてはならない」
ウィリアム・モリス ※
この春、東京都美術館で開催の「生活と芸術———アーツ&クラフツ展」(ウイリアム・モリスから民芸まで)を観た。会場の入口に掲げられていたのが、この冒頭のコトバだ。 思わず、そのコトバの前に立ちすくむ。 動けなかった。 2度ばかり口のなかで、掲げられたこの一節をくり返し、やっとのことで右脚を前に出す。
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会場に入ると、まず、モリスのデザインした壁紙(初期の壁紙)が目を引く。それはとても美しく、見るものを惹きつけてやまない。 格子垣(トレリス)。果実またはざくろ。ひなぎく。多くの色版が用いられたモリスの壁紙は、暮らしの夢を掻きたてるようだ、まったくのところ。 しかし……。 この型紙が、たとえばわたしの家の居間の壁を飾るとしたらどうだろうか。いま置いてある道具、調度とは調和しないだろう。どんなにモリスのパターン・デザインのなかで暮らしてみたいと願っても、いまあるものを全部とりかえなければ、それは実現しない。 いや、実現はするだろうが、とてもではないが納得できる結果にはならないと思う。そのちぐはぐな有様には、ウィリアム・モリスも顔をしかめることだろう。
わたしたちは、常に、ある制約のなかに生きている。その制約のなかでもっとも幅を利かせるのが、選択である。自分が思想と好みとを織り交ぜた末の選び。 はなしを家や意匠に絞るなら、そこには好みの問題が浮上する。この「好み」は、わたしたちが考える以上に選択を占領し、ときには、厳しくも責任をもてと迫るのだ。やれやれ。 なにか———道具や調度———を選ぶたびに、問うてもくる。
———その「好き」を、貫ける? ———いま、「好き」と言って選ぼうとしているそれは、これまでの「好き」を損なわない? 裏切らない?
と。 想像のなかでウィリアム・モリスの壁紙をあきらめたわたしは、生意気にもモリスの有名なコトバに、胸のなかでこうつけ加えた。
「役にたたないもの、 美しいと思わないもの、 そして選ばなかったものを 家に置いてはならない」
何を選ぶか。 最初の選び、つぎの選び、またそのつぎの選びを調和させつづけていくことは、一大事業だ。苦心も要るし、がまんも要る。 ———ああ(嘆息)。 帰り道、わたしはそうして、迷った揚げ句、もうひとつつけ加えることとした。 とっておきの5文字。
「できるだけ」
※Have nothing in your housesthat you do not know to be useful,or believe to be beautiful.
The Beauty of Life,William Morris,1880
そのときもとめた、ポストカードです。左は、壁紙見本/「果実」あるいは「石榴」1866年頃右は、内装用ファブリック/「ローデン」1884年ウィリアム・モリス(ヴィクトリア&アルバート美術館)