誰のための警察なのか?
「気になるニュースランキング」でも大きな関心を集めるニュースで、この事件はいかに国民の関心度の高い事件であるかということについて語った。これだけの関心を集めておきながら、マスコミも警察もうやむやにして終わらせるにはあまりに不自然なのだ。1月18日、事件が発覚して数時間で那覇署は自殺と判断した。なぜこんなに早かったのか?という疑問もあるが、もっと不可解なのはその後の衆議院予算委員会での答弁である。2月7日衆院予算委員会で民主党の細川律夫議員が追及したが、沓掛哲男国家公安委員長、警察庁の縄田修刑事局長が“犯罪説”を否定。3月1日には原口一博議員が証拠物品の紛失について中心に取り上げたが、沓掛氏等は重ねて「犯罪によらないことが明らかである」と答えるばかりで自殺と判断した事情についての具体的理由については「死者の名誉」や「ご遺族のプライバシーにかかわる」といって、一切解答していない。仮に名誉やプライバシーに関わるとしても、差しさわりのない範囲内で答えることはできないのであろうか。遺族の許可をとることだってできるはずだ。警察の名誉と信用に関わる質疑である。野口氏に関わる捜査に関しての疑いがあって割かれた時間に何の納得もできない回答をされたのでは税金の無駄使いである。その上、疑いを晴らせないのでは、警察は、国民への信頼を守ることよりも警察の利益を守ったとも受け取れる。遺族の名誉やプライバシーを守るといいながら、警察の名誉やプライバシーを守っているのではなかろうか。その後3月2日、漆間巌警察庁長官も、重ねて犯罪死を否定した。特に警察は、国民の税金で活動している機関である。政治家が国民の代弁者として代議士として活動しているのと同じように、警察官は国民の代理として、捜査を行っているものである。国民が関心をもち疑問を残している、不可解な点の解消や問題点の解決の必要性があれば国民の大多数といかなくとも大半の納得が得られるまで捜査をするか、あるいは説明を行うことが必要ではないのかと私は思う。政治は勿論だが、警察や国の機関というものは”国民の、国民による 国民のための機関”であるべきものだ。間違っても”国家の 国家による 国家のための機関”であってはならない。誰のための警察なのか?日本が真の民主主義であるためには、警察は、警察のための捜査をするのではなく、国民のための捜査をするべきである。もしそれができない警察ならば、私たち国民は本当に安心して我が国の安全を任せていていいのだろうか?幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸★人気blogランキングに参加しています。 あなたのクリック1つが誰かを幸せにすることができます! 皆さまからのたくさんのクリックの積み重ねによって集められた 成果はすべてこちらに反映されています。★楽天ブログランキングに参加しています。 あなたのクリック1つが誰かを幸せにすることができます! この幸せは毎日ゼロからのスタートです。幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸