カテゴリ:読書
東京に居を移した本家に身を置く雪子は、都会の空気になじめず心細い日々を送っている。 いっぽう関西では、神戸で大洪水がおこり、四女・妙子が巻き込まれた。 この水害から妙子の命を救ってくれたのは、かねてより付き合いを続けていた許嫁の奥畑ではなく、奥畑家に昔丁稚奉公をしていた板倉であった。 二人の身分違いの恋に家族が翻弄される中、板倉が病に倒れるー。 *が私のコメント。 ★(略・踊りの)稽古場と云うのは、島の内の畳屋町の狭い路次を這入った芸者屋の二階にあった。 *「■“船場は商人の町で、島之内は三者の町”■と、住んでいる人は何か誇りを持っていたような気がする。」 三者とは、学者、芸者、役者のことだ。 芸者が多かったので踊りの稽古場があった。 ★(略)東京の魅力は何処にあるのかと云えば、そのお城の松を中心とした丸の内一帯、江戸時代の築城の規模がそのまま壮麗なビル街を前景の裡(うち)に抱え込んでいる雄大な眺め、見附やお堀端の翠色、等々に尽きる。 *やはり規模が大きい。 大阪は、船場の規模が小さかったので、公共の施設は、武家の蔵屋敷があった中之島におかれた。 ★(略)それらた置いてあった上本町の家の隈(くま)が幻影のように浮かぶのである。 姉がこういうものをわざわざ大阪から持って来たのは、昔の栄華の形見としてこれだけでも身近に眺めていたいのであろう。 そして一つには客間と云うには余りに殺風景なこの部屋の装飾にと云うつもりなのであろう。 が、どう見てもそれらの物はこの座敷を引き立てる役には立っていないで、反対の効果をもたらしている。 それらの調度があるために座敷はひとしお安普請が目立ち、(略)恰(あたか)も姉その人の境遇を象徴しているようである。 *船場の大きな屋敷でこそ映える書画骨董。 書画骨董と同じに姉の鶴子を思っているのがまさに言い得て妙。 ★(略)東京の寒さに馴れるまでに三年かかる、(略)。 *関西と東京の温度は、そんなに違うものだろうか・・・。 ★「ふうん そしたら「湯豆腐」も一緒の船で行くのんと違うん?」 *「湯豆腐」というのは、ルドルフのことを*妙子*(四女・こいさん)が冗談にそう呼び始めたあだ名。 ロシア人のお婆さんの真似をしたりと愉快な妙子と姉妹たち。 ★「露西亜(ロシア)で生まれて、上海(シャンハイ)で育って、日本へ流れついて来たと思うたら、今度は独逸(ドイツ)から英吉利(イギリス)へ渡るねんな」 *四女・こいさんの妙子の生徒にロシア革命で祖国から逃れてきた一家がいる。 ★(略)彼の握るのは上方趣味のすこぶる顕著なものであった。 たとえば酢は東京流の黄色いのを使わないで白いのを使った。 醤油も、東京人は決して使わない関西の溜(たまり)を使い、・・・(略)。 *東西の食の違いは、■みをつくし料理■でよく分かった。 が、昭和になっても大きな違いがあったのだと知った。 ★「東京はえらい矢絣が流行るねんなあ。」 *食も着るものも違っていたらしい。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.12.14 13:40:46
コメント(0) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事
|
|