テーマ:世界遺産紀行(1093)
カテゴリ:国内旅行
■2018年1月5日(金)雨 ミステリーツアーということで、行先はわからないまま1泊2日のバスツアーに参加した。 途中で紀伊半島と行先判明。 1日目に行った先は「闘鶏(とうけい)神社」。 時は12世紀、平安時代末期。 世に源平合戦と呼ばれる5年にわたる戦乱の時期。 瀬戸内海を統括していた熊野水軍の領主・熊野別当湛増(武蔵坊弁慶の父)が、平氏、源氏のどちらからも応援を頼まれる。 当時、彼は平氏派だったが、世の情勢を鑑みるにどちらの味方をするか決めかね、 神前で紅白の鶏を戦わせ神意を問うた。 赤旗の平家、白旗の源氏。 その結果はなんと、7度の戦い全てに白い鶏が勝利。 結果、湛増は熊野水軍を率いて壇ノ浦の戦いに赴き、源氏を勝利に導きました。 というのが、この神社の名前の由来です。 現存する社殿は近世の再建に係る6棟が揃って遺存するもので、仮庵山を背に北面して建ち、東より西へ西殿、本殿、上殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並ぶ。 建立年代は、本殿は寛文元年(1661年)、上殿は推定で江戸時代前期、西殿は元文2年(1737年)、他3棟は延享5年(1748年)である。 本殿と上殿は一間社春日造かつ奥行二間とする、いわゆる熊野造である。 構成や配置、各建物の形式は熊野三山の社殿と類似しており、熊野との強い関係性を示す。 本殿と上殿は、田辺地方における数少ない17世紀中期以前に遡る貴重な神社建築例である。 各棟ともに細部には地域的特色を備え、近世における当地方の神社建築の展開を考えるうえでも貴重な遺構とされる。 これらの社殿は国の重要文化財に指定されている。 熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいた。 ■闘鶏神社■ 1月2日、■勧進帳■という弁慶が活躍する歌舞伎を見たが、この日も弁慶に関係のある神社だ。 ホテルはオーシャンビュー。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.01.15 12:33:44
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