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カテゴリ:読書
『泥の河』戦後間もない大阪の中之島を下って流れる土佐堀川の橋のたもとにあるしがない食堂の子の信雄とその対岸に停泊している船宿の子のきっちゃんのはかなく短い交流を描いた物語だ。 濁ったヘドロの埃様の臭気が立ち昇って来る川縁。 少し年上のお姉ちゃんへの憧憬と、大人の女性への興味。 臭いと匂いは混然一体となり、読者を陶然とさせる。 映画で見た■泥の河■の原作がこの小説。 水上生活者、荷馬車、屑鉄に値打ちを見出す少年、そして泥の河・・・と昭和30年代初めの大阪が描かれている。 しかしこの数年後に日本の経済は大きく変わり、生活もがらりと変わる。 水上生活者はいなくなり、荷馬車はトラックにかわる。 大阪で過ごした者でなくても、この頃の時代の変化は分かり、それゆえ、ここで描かれている物語が郷愁を誘うのだ。 ●メモ● ◎私のメモ◎ ●湊橋のたもとから細い道が落ちていた。 そてはかつてそこになかったもので、舟に住む少年の一家が作ったに違いなかった。 ◎この頃はまだ、土佐堀川の岸辺は、土で出来ていたのだと思う。 ◎最後少年が舟を追いかける場面に心が締め付けられた。 1977年太宰治賞を受賞した小説。 ■湊橋 (土佐堀川)■ 湊橋(みなとばし)は、大阪市北区中之島6丁目と大阪市西区土佐堀3丁目を結ぶ、土佐堀川(旧淀川)に架かる新なにわ筋の橋。 昭和15年に架け替えられた際、橋の位置は、上船津橋と直線でつながるように決められた。 「泥の河」の冒頭。 堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。 その川と川がまじわる所に三つの橋がかかっていた。 昭和橋と端建蔵橋、それに船津橋である。 藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見おろしながら、古びた市電がのろのろ渡っている。 「泥の河」の石碑。 湊橋の南詰めには作家、宮本輝のデビュー作、「泥の河」の一節が刻まれている石碑がある。 かつて橋のたもとには宮本の父親が営んでいた中華料理店があり、宮本も9歳まで同地で過ごした。 「泥の河」はその時の体験を元に書かれたもので、物語の中には「湊橋」の地名も登場する。■「泥の河記念碑建立■ ■泥の河■ ■「泥の河」の舞台・湊橋■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.20 09:59:30
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