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カテゴリ:読書
【内容情報】(「BOOK」データベースより) 「おれはお糸ちゃんの思いには応えられねぇ」突然余一に拒絶され言葉を失うお糸。 悲しみの中、雨にうたれ熱を出し、気を失ってしまったお糸を助けたのはいったい誰なのか!? そんな折、以前、千吉と同じ陰間茶屋で働いていたという女形役者の大事な衣装が盗まれるという事件が起こる。 困った六助は余一に相談をするが、疑惑をかけられた千吉は行方知れず、同じ衣装を用意するにも刻がない。 果たして余一はこの問題をいかに始末するのかー話題沸騰の大好評シリーズ第五弾! 【目次】(「BOOK」データベースより)神の衣/吉原桜/なみだ縮緬/未だ来らず ●読書メモ● ●日本橋から吉原までは舟を使うことが多い。 山谷堀(さんやぼり)まで猪牙舟(ちょきぶね)で行き、そこから駕籠で大門へ。 (略)「『江戸っ子の生まれ損ない 猪牙に酔い』なんて川柳もあったっけ」 江戸市中の河川で使われたが、浅草山谷にあった吉原遊廓に通う遊客がよく使ったため山谷舟とも呼ばれた。 長さが約30尺、幅4尺6寸と細長く、また船底をしぼってあるため左右に揺れやすい。 そのため櫓でこぐ際の推進力が十分に発揮されて速度が速く、狭い河川でも動きやすかった。 語源は、明暦年間に押送船の船頭・長吉が考案した「長吉船」という名前に、形が猪の牙に似ていることとをかけて猪牙と書くようになったという説と、小早いことをチョロ・チョキということからつけられたとする説の2つがある。 ●(略)慣れていない田舎侍(あさぎうら)が川に落ち、(略) 江戸時代に国表から江戸表に参勤した野暮な田舎侍や下級武士を揶揄して浅葱裏と言った。 ●吉原では最初の登楼を「初会」と言い、二回目を「裏を返す」と言う。 続けて三度通えば「馴染み」となり、吉原で公認の仲になるのだ。 ●打掛ののふきのところ 袷の着物や綿入れの袖口や裾の部分で、裏地を表に折り返して、表から少し見えるように仕立てた部分。 ふき返しともいいます。 表地の端の傷みや汚れを防ぐためや、おもりの役割などを担っていました。 かつては、ふきに綿を入れる「ふき綿仕立て」がありました。 ふきに綿を入れて重みや厚みを持たせることで、裾がばたばたしなくなるという実用面の他にも、ふっくらと柔らかな美しいラインが出て、重厚な感じや着物の豪華さを引き立てます。 このため、武家や富裕な商家の女性に好まれていました。 ふきの分量は流行で変化もあり、江戸時代中期には1寸以上の幅や厚みを持つものもあったといいます。 時代が下ると庶民にも広がり、明治~昭和初期にはふき綿入りの晴れ着も一般的になりましたが、現在は花嫁衣裳や舞台衣装などに残るのみです。 ●月代(さかやき)を野郎帽子で隠している。 多く紫縮緬(ちりめん)などで作った。 ■しのぶ梅 着物始末暦■ ■藍の糸 着物始末暦2■ ■夢かさね 着物始末暦3■ ■雪とけ柳 着物始末暦4■ ★妄想劇場 ★千吉 女装をして、当時の「ゲイ」の人や、金持ちマダムに貢がせる。 その美しさで人を惑わせる。 そんな千吉役には、三浦春馬!!以外にない。 しかも、三浦春馬は、ミュージカル・「キンキーブーツ」でドラッグ・クイーンの役!! ★始末屋・余一 着物の染み抜き、洗いや染めとなんでもこなす着物の始末屋・余一は、職人としての腕もよく、若くて男前なのだが、人と深く関わろうとしない。 そんな余一役に、■清原翔人(カート)、■さんが、決定!! 関係者は、「余一が歩いてきた!!と思った」と言っている人も(私。) なお、あだ名は、アプリ君と言います。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.27 00:13:17
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