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カテゴリ:国内旅行
■2020.11.23 太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、三本松城(津和野城)の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。 以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、明治の版籍奉還に至るまで、藩主亀井家の祈願所として維持され、藩主以外の参拝は禁止されておりましたが、廃藩後は広く一般庶民も参拝できるようになりました。 ■太鼓谷稲成神社HP■ 「太皷谷稲成神社」の“太皷谷”は、津和野城の城山の一角で江戸時代には時刻を知らせる太鼓(太皷)が鳴り響いた谷間であることから名付けられました。 (▲■本宮(もとみや)■) また津和野城の東北、陰陽道の鬼門に位置し、古くから神聖な場所とされていました。 朱色の“千本鳥居”を通り抜けて、石段を上がりきると、正面に“神門”右手に“手水舎”。 左手側には、山陰の小京都と呼ばれる津和野の眺望が広がります。 津和野川や山口線の線路、津和野の町並みの一つの特徴である赤味を帯びたオレンジ色の屋根が、その景観をグッと引き締めています。 島根県内の神社では“出雲大社”に続いて参拝者数が多い津和野の「太皷谷稲成神社」。 歴史と伝統のある情緒豊かな津和野の景観も一望出来ます。 また反対に“千本鳥居”や各社殿を、津和野の町から眺めるのもオススメです。 赤や白の幟が立てられていた。 その中の1本は、農産物品評会。 ▲普通の3倍くらいあるブロッコリー。▼色がきれいなジャガイモなどが展示してあった。 この後、津和野城跡に登った。 ■リフトで登る城跡■ 太皷谷稲成神社へ車で上る途中に、津和野城跡へいくことができる津和野城跡観光リフトがあります。 津和野城址へは徒歩でも登れますが、やはりそこは城塞だっただけあって、簡単に攻め入ることができなかった当時を咸じずにはいられないような急勾配で、大人で40分くらいかかります。 そんな時に便利なこのリフト。 スキー場のリフトのように高速ではないので、まわりの景色をゆっくりと楽しむことができます。手すりにつかまって後ろを振り返れば、津和野の赤い瓦の町並みとが広がり、目の前には「青野山」。 最近の乗り物では味わえない開放感とちょっぴりのスリルを楽しんでくださいね。 ■津和野城跡■ 標高362mの霊亀山上に築かれた中世の山城跡で、津和野の町を展望するのに最適の場所です。 城跡の石垣が朝霧に浮かぶ姿は、まるで「天空の城」です。 紅葉の時期もおすすめです。 太皷谷稲成神社の参道からリフトを降りて徒歩20分で頂上に到達します。 現在は建造物は何もありませんが、石垣はほぼ完全な形で保存されており、石組の堅固さ雄大さは比類のないものです。 吉見氏14代319年間、坂崎氏1代16年間の後は、明治維新まで亀井氏が11代225年にわたり城主として 在城しました。 貞享3年(1686)に落雷のため焼失し、その後再建されることもなく、明治7年(1874)に石垣を残して解体されました。 ▲途中までこんな道があるので歩きやすかった。 なだらかな青野山の山すそに広がる家並みと、その中をゆるやかに流れる津和野川を一望でき、さだまさしの「案山子」の風景だ。 この城跡からのイメージで作詞したという。 「案山子」 さだまさし ♪元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る 城跡から見下せば 蒼く細い河 橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突 この町を綿菓子に染め抜いた雪が消えれば お前がここを出てから初めての春 (略) 山の麓煙吐いて列車が走る 凩が雑木林を転げ落ちて来る 銀色の毛布つけた田圃にぽつり 置き去られて雪をかぶった 案山子がひとり にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.01.09 00:00:49
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