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■2020.11.23(月・祝日) ■乙女峠 マリア聖堂■ 島根県津和野町は、山陰の小京都と呼ばれる風光明媚な美しい町です。 森鴎外の故郷であり、安野光雅美術館、津和野城跡、 SLやまぐち号、銘菓「源氏巻」など沢山の名所や名物があります。 そんな歴史・文化の宝庫津和野に、幕末から明治にかけキリシタンの迫害の歴史があったことをご存知ですか? 津和野駅の裏手の乙女峠に、キリシタン殉教史跡であるマリア聖堂がひっそりと木々に囲まれ佇んでいます。 津和野町のキリシタン殉教史跡「乙女峠」は、峠ではありません。 駐車場に車を停めてから、確かに軽くせせらぎが脇を流れる坂道を登ります。 ちょっと軽めのトレッキングかハイキングといった感じでしょうか・・。 峠でもないのに、なぜ「乙女峠」なんでしょうか? 実は、島根県出身で、長崎に投下された原爆が原因で亡くなった医学博士永井隆氏の絶筆『乙女峠』が由来と言われています。 『乙女峠』は、慶応3(1867)年「浦上四番崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧事件で、津和野に配流されたキリシタン守山甚三郎等の物語です。 この乙女峠は、春の桜が美しいと言われています。 毎年5月3日には、「乙女峠まつり」が開催されます。 津和野の城下町にある津和野カトリック教会から約2km離れた乙女峠まで、聖母マリア像を中心に信者の方々の行列が続くそうです。 現在は跡形もありませんが、弾圧があった当時、そこには廃寺となった光琳寺がありました。 この光琳寺がキリシタンの収容施設となりました。 浦上四番崩れで弾圧され、流罪になったキリシタンはおよそ3400人と言われています。 信徒の中心人物を最初は114名、津和野、萩、福山に移送されることが決まりました。 配流はその後も続き、鹿児島や名古屋など20カ所が流刑地に選ばれました。 最終的に津和野へは153名が流刑されたのです。 キリシタンたちは、流刑地で厳しい拷問を受けました。 津和野に流刑されたキリシタンのうち37名が命を落としました。 (▲ステンドグラスには、拷問が描かれている。) ▲萩でも多くの信者が命を落とした。 この時代、森鴎外は、津和野にいたのだが、この事件には、まったく触れていないそうだ。 ■萩でもキリスト教徒の悲しい歴史が・・・。■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.01.09 00:01:07
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