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カテゴリ:国内旅行
■2020.11.24(火) ■島根県・津和野■から山口県・岩国に。 岩国といえば、錦帯橋。 錦帯橋の近くの待ち合わせの河原の駐車場に行きガイドさんの案内で市内を廻った。 ■錦帯橋は■ 国指定の名勝であり、日本を代表する木造橋です。 延宝元(1673)年、岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)が現在の橋の原型となる木造橋を架けましたが、錦川の洪水によりすぐに流失しました。 しかし、改良を加えて翌延宝2(1674)年に再建された橋は、昭和25(1950)年9月の台風29号(キジア台風)による洪水で流失するまでの276年間威容を保ちました。 流失後、市民の強い要望により、昭和28(1953)年に再度、木の橋として再建されました。 平成14(2002)年からは、劣化した木造部分を架け替える「平成の架け替え事業」も行い、平成16(2004)年3月、さらに檜の装いを新たに完成しました。 木造部分の掛け替えは、旧錦帯橋でも江戸時代からほぼ橋大工の代替わりで行われていた定期的な伝統事業です。 橋の長さは、橋面に沿って210メートル、直線で 193.3メートル、幅は5メートル、橋台の高さは6.6メートル。 巻きガネとカスガイを使った「木組みの技法」で造られています。 反り橋の構造は精巧かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ちどころがないと言われています。 春は桜、夏は鵜飼いや花火の夜景、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、「錦」の名の通り、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめます。 ■錦帯橋■【名前の由来】 創建当時は「錦帯橋」という名は付いていなかった 「大橋」と呼ばれることが多く、吉川広嘉が幕府から名前の記載を求められた際にも「岩国大橋」と書いたと言われています。 他にも「凌雲橋(りょううんばし)」、「五竜橋(ごりゅうばし)」、「帯雲橋(たいうんばし)」、「算盤橋(そろばんばし)」など、複数の呼び名がありました。 「錦帯橋」という呼び名が広まったのは、安永年間(1772~1780)頃で、公式名称に認定されたのは、明治維新後のことです。 橋げたを置くために、しっかりした石を置いている。 石が動かないように、とめているがこれは、■「ちきり」とか「ちきりしめ」という。■と富山県を旅行した時に聞いた。 ▲錦帯橋と岩国城。 ゴンドラに乗って、城山に行く。 吉香公園前の山麓駅から、標高約200メートルの城山の尾根の山頂駅までを約3分で結びます。 吉香公園、錦川と錦帯橋、旧城下町から、遠くは岩国錦帯橋空港、瀬戸内海の島々までの眺望が楽しめます。 移動中は定員30名のゴンドラ内で、音声ガイドで簡単に岩国の歴史を紹介しています ■岩国城は、■ 初代岩国領主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山に位置していました。 三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後7年で一国一城制により取り壊されました。 現在の天守は、昭和37(1962)年に再建されたものです。 桃山南蛮造りの天守閣内に、錦帯橋の精密模型、写真、武具や甲冑などを展示しています。 天守閣は展望台になっていて、岩国市街の眺望を楽しむことができます。 天守閣からは吉香公園、城下町、錦帯橋から岩国市内一面、岩国航空基地、岩国錦帯橋空港、 瀬戸内海の島々や四国、宮島までが一望できます。 ■大釣井(おおつるい)■ 歩いて行くと、途中にこのような大きな井戸が出てきた。 大釣井(おおつるい)という井戸で築城と同時に築かれ、非常時における武器弾薬の保管の他に脱出口の役目もあったと伝えられている。 「城と井戸と抜け穴」という取り合わせはどこでも共通のものだ。 ▲古い邸宅もあって▼ ▲錦帯橋だけでなく、水と緑の広い公園が町中にあるのも岩国の魅力だ。▼ ●120Km ●7979歩 ■山口県のおすすめスポット■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.01.13 01:58:11
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