テーマ:国内旅行(1458)
カテゴリ:国内旅行
■2021.3/29(月)
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子 ■知覧麓の武士屋敷を見て回った後、■「富屋食堂」という昔の食堂が 「ホタル館」という名前になって残っているのを見た。 ここは、昭和17年に軍用となり、10~20代の特攻隊員らが足しげく通った所。 ■ホタル館 富屋食堂■ ホタル館は,第二次世界大戦末期に陸軍の指定食堂だった富屋食堂を,当時の場所に忠実に再現した資料館です。 ここでは,息詰まる戦況下で特攻隊員をあたたかく迎え「特攻の母」として慕われた鳥浜トメさんの生涯(2階)と,その特攻隊員とのふれあいの遺品や写真など(1階)を展示しています。 今は「ホタル館」という名前がついている。 名称は隊員が「ホタルになって帰ってきます」と出撃したことに由来する。 そこで私は、冒頭の俳句を思い出した。 ▲映画「ホタル」の監督・降旗康夫氏の碑▼知覧特攻平和祈念館前。 ■蛍が成虫になり、■光を放つようになってからの寿命は、1週間から2週間ほどと言われています。 闇の中、はかない光を放ちながら周囲を照らし、短い一生を終える蛍は、ただそのためだけにこの世に生まれてきたのだろうか、なんだか損な役回りを持っています。 だからこそ、作者は「じゃんけんで負けて」蛍に生まれたと表現しています。 裏を返せば、今ここに在るのは、じゃんけんの勝ち負けのような「偶然」にすぎないことをテーマにしています。 「偶然」に誕生した生命というものは、蛍が放つ光のように、いつ消えてもおかしくないほど危なっかしいもの。 人として生まれようが、蛍として生まれようが、生き続けることは決して当たり前のことではなく、 偶然の連続なのかもしれない…といった命のはかなさと大切さを物語っています。 生きて人生を長らえていれば、夫となり父親になり孫を愛したであろう若者が、何者にもならないうちに死ななければならなかった哀しみ・・・。 偶然生まれてきた時代の不運に蛍のような短い人生を「仕方がない」と諦めたのだろうか・・・。 この後、■「知覧特攻平和祈念館」■に行った。 ここでガイドをしてくれたのは、7歳の時、父親が戦死したという80代後半の男性。 父親を亡くし、家計の苦労をしながら大きくなったと話してくれた。 その不運が80代半ばを過ぎてもなお戦争の悲哀を訴えていくエネルギーになっているように思った。 ■「知覧特攻平和祈念館」のまわりは、茶畑が広がっていた。 ここ知覧は、お茶で有名。 スーパーに寄ってお土産にお茶を購入。 この日の宿は指宿(いぶすき)の「国民休暇村指宿」で、連泊する。 修学旅行の生徒たちで満員の宿。 私たちも、浴場の時間制限などがあったけれど、よかったね、学生諸君。 よかったね、宿の皆さん。 (南九州市・知覧) この日、大阪のコロナ感染者総数は、215名だった。 ◎走行距離:82km ●11075歩 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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