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2021.04.24
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テーマ:国内旅行(1458)
カテゴリ:国内旅行

■2021.4/1(木)
入来麓(いりきふもと)をガイドさんの案内で廻った。
薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の行政区画に分けて統治。
武士団を鹿児島市内の本城に集結させず、領地内に分散して統治し、その統治の中心を麓と呼びました。

入来は、鎌倉時代に地頭職であった関東の渋谷氏がこの地に入り「入来院」と名乗って支配した荘園でした。
 昭和4年アメリカのエール大学の教授朝河貫一氏により入来院家に伝わる「入来院家文書」が翻訳され、『入来文書』として刊行されたことによって有名になりました。
現在の入来麓武家屋敷の町並みは中世から江戸期にかけて出来たもので、

特徴は樋脇川の石を使用した玉石垣とその石垣の上に植えられた茶やイヌマキなどの生垣。

入来のほぼ中央部に位置する麓地区は、四隣に威を振った薩摩藩随一の堅城(山城)である清色城を中心に川原石を使った玉石垣による整然とした区画割、

武家屋敷門(茅葺門)、大手門前の濠や広馬場、下門口を備えたお仮屋跡など多くの史跡・文化財が残っています。
 
近世になって整備された街路と地割が旧態をとどめ、屋敷割りもよく残っていて歴史的価値が高いとされています。
また現在はほとんどの屋敷跡に民家があり生活感もあります。

立派な長屋門などは残っていませんが、門から敷地をのぞくと玄関までの折れ曲がったアプローチや古木、石倉など当時の面影がしのばれます。

入来麓は薩摩藩麓の一つで中世の名残を残す町並みとしてよく保存されていることから、2003年12月に鹿児島県では知覧武家屋敷群、出水麓武家屋敷群に次いで国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されました。


▲分限者(ぶげんしゃ)=金持ちの証、べんがらの壁と壁の隠し釘の飾り▼




▲二棟ある家の間には、繋いである部分がある。▼



▲繋ぎの部分を家の中から見ると☝のように見える。

▲この地区にも「石敢當(せっかんとう)」があった。


▲山城への道は、敵が来た時に通れないように細くなっている。

♪一夫關に当るや 萬夫も開くなし

とはこういうことを言うのだ。
ここの郷土資料展示室で■西郷札■を見た!!

明治10年の西南戦争の際、熊本で敗れ宮崎に逃れた薩摩軍団が戦費調達のため発行した軍票を西郷札。
札の多くは明治政府に没収され、廃棄処分にされたことから現存するものは少なく、通貨コレクターの間では垂涎の的であり、高額で取引される。■西郷札。■より。


まさか、ここで見ることが出来るとは・・・。

この後、川内原発(せんだいげんぱつ)を見に行った。
靴 ◎走行距離:126km  ●7254歩
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Last updated  2021.04.24 00:00:56
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