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■2021.4/4(日) 社殿は鹿児島藩主島津吉貴の寄進で、正徳5年(1715年)に建立された。 社殿はいずれも朱塗りの華麗なものである。 特に本殿は内部も豪華に装飾され、柱、梁、長押などはすべて朱漆塗りとした上に要所を彩色文様や鍍金の飾り金具で装飾し、壁には極彩色の浮き彫りを施した羽目板を配するなど、贅をこらしている。 神社建築で、外部だけでなく内部までこのように装飾をこらしたものは珍しく、「西の日光」と言う別名を持つ。 もともと霧島山一帯が霧島神宮の境内であったが、明治4年(1871年)の廃藩置県の際に霧島山の頂上に沿って県境が引かれ、宮崎県内は神宮境内から外された。 明治15年(1882年)にはさらに7810ヘクタールが削減され、昭和21年(1946年)の日本国憲法制定による宗教法人化で山林の大部分は日本国に譲渡された。 その後、祭典行事に必要な789ヘクタールが神宮へ返還されている。 ■映画、美しい夏キリシマ■の舞台は宮崎県だったので霧島神宮は宮崎県というイメージがあった。 ■霧島神宮■ 二の鳥居の表参道を抜けると桜島が臨める展望所に出ます。 ここでは「招霊(おがたま)木」と「さざれ石」の2つのパワースポットを見ることができます。 売店近くにある「招霊木」は、神霊を招く木として植えられ、昔はこの小枝を使って神事を行っていたと言い伝えられています。 一方、「さざれ石」は、岐阜県から奉納された小さな石が集まった国歌「君が代」にも出てくる有名な石。 よく見ると、賽銭の下には小石が溶けた石灰岩が集結しています。 二の鳥居の右下にひっそりと鎮座しているので、見逃さないで。 森の参道を抜けると視界が開け、鮮やかな朱色の社殿が視界いっぱいに現れます。 社殿の前庭にある高さ約37m、南九州のスギの先祖ともいわれている樹齢800年の御神木に手を合わせ、パワーをいただきます。 次に御神木の裏手にまわって上を見上げ、烏帽子を冠った神職が手を合わせた姿をした木のコブを探してみましょう。 ▲社殿の左手から裏へまわって旧参道のスギに囲まれた「山神社」へ。 坂本龍馬と妻おりょうが参拝したのもこの道。▼ さらに階段を上ると、小さな石の祠の山神社がひっそりと祀られています。 ▲霧島神社の駐車場横にある池、これは温泉だ!! ♪花は霧島たばこは国分燃えてあがるは おはらはぁ桜島。 霧島といえばキリシマツツジ。 霧島は霧にかくれて赤とんぼ 山頭火 ▲宿を出た時は、雨がひどくて、車の走行も危ぶまれるような天気だったが なんということでしょう!!雨があがった!!! 新緑が目にしみるようにきれいだ! そんな中、高千穂河原(たかちほがわら)に向かう。 高千穂河原(たかちほがわら)は、元霧島神宮のあったところ。 霧島神宮は、ずーーと昔から同じ所にあったと思っていたのにビックリだ!! 高千穂河原(たかちほがわら)は、鹿児島県霧島市に所在する霧島山の中岳と御鉢との谷間にある地名である。 古くは瀬多尾越と呼ばれており、中世にはこの場所に霧島神宮があったが、御鉢の噴火による焼失後の現在は古宮址が残されている。 霧島神宮は古くは高千穂峰と御鉢の間の「背門丘(せたお)(背門丘・瀬戸尾)」にあったが、 御鉢の噴火によってたびたび焼失したため天暦年間に性空によって高千穂河原に移された。 しかしながらここも1234年1月18日(文暦元年12月28日)の御鉢の噴火によって焼失してしまった。 霧島神宮は後に別の場所で再建され、高千穂河原には社殿の跡地が残るのみとなった。 ◎つまり、さっき見てきた華麗なる霧島神社は、788年の噴火まであった本宮と 1235年の噴火で焼失した古宮の後にできた3代目というわけだ! よっ、三代目!!と声をかけてあげよう。 ◎▲今も続く火山活動に避難壕がある。 どっか温泉でも入ろうと車で移動していたら、丸尾の滝という滝にであった。 丸尾温泉から霧島神宮に向かう国道223号の道沿いにある高さ23メートル、幅16メートルの豪壮華麗な滝です。 近くの栄之尾温泉、硫黄谷温泉の温泉水を集めて流れる珍しい「湯の滝」。 このあたりは温泉だらけで、坂本龍馬夫婦が新婚旅行に来たという。 霧島神宮に参り、温泉で疲れをいやしたのだろう。 私たち70代夫婦も温泉でゆったりしたが、私が風邪ひいた・・。 喉が痛くて、咳が出る。 おまけに、ちょっと熱があるかも・・・。 このコロナの時期、風邪ひいたらまずいわ。( ;∀;) 翌日、喉の痛みをとる薬(シュシュと喉にスプレーするタイプ)と熱さまシート購入。 ◎走行距離:49km ●7164歩 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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