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カテゴリ:国内旅行
■2021.4/5(月) 美々津(みみつ)千軒とうたわれた重伝建の町をガイドさんの案内で回った。 この日は、ビックリするほど風が強く、マスクごしのガイドさんの声が風に消されて聞き取りにくかった。 ●宮崎県日向市の南端に位置する「美々津」は日向灘に面する港町で、神武天皇が東征する際に出港した場所として伝説が残っています。 江戸時代は近畿地方を結ぶ海の玄関口として繁栄し、美々津千軒といわれるほど白壁の町家が軒を連ねていました。 鉄道の開業に伴い廻船業は衰退し、歴史から忘れられた港町は今も静かな佇まいを残しています。 江戸期の町家が残り国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 ●美々津の街並みを歩いていて目を惹くのが、白壁の商家が立ち並ぶ静かな町に溶け込むように建つ洋風建物です。 これは昭和初期に建築された木造二階建ての旧郵便局舎で日本の伝統的建物の中にあっても違和感のない建物です。 ●町家の玄関横に「バンコ」と呼ばれる折りたたみ式の縁台が設えてあります。 バンコ」はポルトガル語でベンチを意味する「banco」に由来しています。 ●美々津の町を散策していて気づくのが各家統一された木製の郵便受けです。 どの郵便受けにも神武天皇が使用したと伝わる古船が描かれていています。 美々津には「耳川」が流れている。 「耳川」と言う名前から「美々津」という地名になったのではと調べたが何処にもかいていなかった。_| ̄|○ 耳川に橋がかかるまでは、渡し船があった。 (ここに車を止めるようにとガイドさんに教えてもらって止めた所。) また耳川の上流から高瀬舟で材木や炭などを運んでここまで来た。 車を置いた駐車場は、高瀬舟や渡し船で賑わっていた場所だ。 かつての賑わいがしのばれる通り。 ▼その通りの家には、当時の大工さんの心意気の飾りが。 ▲共同井戸。どちらの井戸も屋根がかけられ、近くに水の神様を祀っている。▼ ▲電器屋さんの看板が渋い!! 墓がならんでそこまで波がおしよせて 山頭火 昭和5年10月27日、山頭火が美々津に来たーーー!! 当時この地は墓地で、すぐ近くまで波がおしよせており、その情景を詠んだものと思われる。 塀の左には、下町があった。 下町は、船乗りや船大工の集住していた町だったが、明治30年代の数度の津波によって道路や家屋が流失。■美々津■ ▲消防自動車の格納庫。 ▲月曜日は、資料館なども休み。▼まちは静かだった。 この町は、秋月藩の殿さまが参勤交代の際に、ここから大坂経由で江戸に行ったそうだ。 また、廃藩置県の際、数年だけ美々津県の県庁があった。 明治初期において、美々津には、宮崎県北部地域の中心地になりうる立地条件が備わっていたことを示しています。■美々津■ この後、細島・馬ヶ背を目指す。■日向岬・馬ケ背■ 日豊海岸国定公園の南端に位置し、柱状節理のリアス式の海岸線は、非常に見応えがあり、そのスケールは福井県の「東尋坊」に勝るとも劣らない。 細い道を歩いて行くと ▲日本一の高さ70mにも及ぶ、馬ヶ背展望所からの断崖絶壁は、圧巻。▼ 馬ヶ背の断崖絶壁が属する日向岬の柱状節理は、2018年(平成30年)2月13日に国指定の天然記念物に指定されている。 ▲これほどの柱状節理はなかなか見たことがない。 ◎走行距離:198km ●9931歩 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.07 00:06:21
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