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カテゴリ:読書
<内容> 版籍奉還、廃藩置県によって土地を奪われ、支配者の地位から転落した元殿様たち。 戊辰戦争で勝者となり新政府の要職も務めた土佐藩主・山内容堂は新政府への鬱憤から酒浸りに。 徳川宗家十六代は天皇に信頼される大政治家に。 朝敵となった会津藩主・松平容保は日光東照宮の宮司となりひっそりと生きた。 多様な元殿様の「その後」のなかから、特に波瀾万丈な人生を送った十四人の元殿様の知られざる生き様を、人気歴史研究家の河合敦先生が紹介する。 ●第1章 1.維新の波に抗った若き藩主たち(松平容保(会津藩)―朝敵にされた悲劇の大名 2.松平定敬(桑名藩)―容保と行動をともにした実の弟 3.林忠崇(請西藩)―藩主みずからが率先して薩長と戦う 4.徳川茂承(紀州藩)―敗走した旧幕府軍平をかくまう) ●第2章 5.最後の将軍・徳川慶喜に翻弄された殿様(徳川昭武(水戸藩)―兄慶喜の身を案じた仲の良い弟 6.松平春嶽(福井藩)―徳川慶喜に裏切られ通しの坂本龍馬の理解者 7.山内容堂(土佐藩)―晴らせぬ鬱憤を酒で紛らわせる 8.徳川家達(静岡藩)―幼くして徳川宗家を継いだ十六代目当主) ●第3章 9.育ちの良さを生かして明治に活躍(蜂須賀茂韶(徳島藩)―祖先の不名誉な噂を払拭するために外交官や官僚として活躍 10.浅野長勲(広島藩)―三人の天皇と心を通わせた最後の大名 11.岡部長職(岸和田藩)―長年の欧米生活で身についたマイホーム・パパ 12.上杉茂憲(米沢藩)―沖縄の近代化に尽くそうとした名門藩主 13.亀井茲監(津和野藩)―国づくりは教育にありを実践) 14.巻末付録 江戸三百藩「最後の藩主総覧」 ★一番おもしろかったのは、最後の将軍・徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩)が、パリの万博に行った理由。 最後の将軍・徳川慶喜は、自分たちの旗色が悪いと思い、フランスに亡命しようと思っていたそうだ。 だから、年の離れた(16歳の差)弟をパリ万博に送った。 万博が終わった後、他の人は帰国しても、昭武には、フランスにいて勉学に励むように行った。 昭武に同行していたのが、渋沢栄一。 ■1867年第2回パリ万博■ ★上杉茂憲(もちのり・米沢藩)―沖縄の近代化に尽くそうとした名門藩主。 茂憲(もちのり)が県令として沖縄に就任した時には、通訳が同行したそうだ。 今よりももっと、沖縄の言葉は、独自性を持っていたのだろう。 丸太の掘立小屋に萱を葺いた粗末な小屋に家畜とともに住み、芭蕉布一枚を身にまとって、毎日甘藷やソテツばかり食し 食器すら持っていない。 しかも、文字も読めない者ばかりである。 茂憲(もちのり)は、このありさまをなんとか改めようとしたが、2年で沖縄県玲の任を解かれた。 明治維新のドラマは、薩長や徳川など有名どころばかりが描かれるが、上杉茂憲(もちのり・米沢藩)の行いは、全く知らなかった。 ■そこでちょっと茂憲(もちのり)について調べてみた。■ 米沢や沖縄での投資や奨学金に私財を惜しまず充てたため、家計は潤沢とはいえなかった。 宮中での参賀や観桜会には夫人を伴う儀礼ではあっても、婦人用大礼服は大変に高額な上に会費・交際費も負担が重く招待を断り続けていた。 多年の欠礼を省みてついに明治35年(1902年)の新年参内に併せ、夫人に礼装をしつらえさせると、日本橋白木屋洋服店の領収書に1028円81銭とあり、同家服飾費の2年半分を費やした。 兼夫人は終生これ1着で済ましている。 (▲■津和野■) ★.亀井茲監(津和野藩)は、廃藩置県の命の出る前に、一足早く、自ら廃藩した。 この本を読んだら、大河ドラマ「晴天を衝け」が何倍も面白い。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.02 00:03:16
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