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2021.07.17
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テーマ:読書(8610)
カテゴリ:読書
■内容紹介(「BOOK」データベースより)■
江戸中期、日本橋瀬戸物町の鰹節商、伊勢屋にんべんの次男に生まれた伊之助。
父亡き後、兄を支えて家業に精進するが、度重なる不運が伊勢屋を襲う。
心身を病んでしまった兄の跡を継ぎ、三代目となった伊之助は「商人は何のために商売をするのか」という父の問いを胸に、大店の意地を捨てて苦難を乗り越え、商いの真髄を極めていく。
江戸商人の心意気を描く傑作。
第3回舟橋聖一文学賞受賞作。
株式会社にんべんは東京都中央区日本橋室町に本社を置く主に削り節やふりかけ、調味料を製造する水産加工品メーカーである。
元禄12年(1699年)の創業と非常に長い歴史を誇り、業界では最古参にあたる企業の一つでもある。
首都圏や東日本では高いブランド力を持つ。

その「にんべん」の初代の息子の目から見た江戸期のかつお節商人の話。

★初代(1705年 - 1724年)
宝永2年(1705年):屋号を伊勢屋と定め、伊兵衛を名乗る。
享保9年(1724年)5月9日:初代伊兵衛が前田綱紀葬儀のため前田家中屋敷(現・文京区本駒込)に向かう途中中風に倒れる。
以降経営が傾き始める。
丁稚からのたたき上げ。

★二代(1724年 - 1749年)
享保9年(1724年)5月:初代伊兵衛の急病を受け、長男長太郎が二代伊兵衛を襲名する。
妻が子供を産んですぐ亡くなった。
以来、深酒に溺れる。
寛延2年(1749年)8月7日:二代伊兵衛死去。

★三代(1749年 - 1777年)
寛延2年(1749年)8月:二代伊兵衛の弟茂兵衛が三代伊兵衛を襲名する。
三代目の目線で物語が進む。
 この本を読んで何気なく食べていたかつお節についてと「にんべん」の歴史についていろいろ知ることができた。
■読書メモ■◎は、私のメモ。

●万代屋が酒の入っただみ声で言った。
(「にんべん」の)曲尺(かねじゃく)は、きっちり誤魔化しなしの意味だし、音が金に通じて商売繁盛の響きもある。
イは伊勢屋伊兵衛の伊だが、イロハの最初で字の読めないお客も読めるしね」
「イは人だ」

伊兵衛が言った。

●(略)琉球の先から黒潮に乗ってやってきます。
で、最初に通るのが薩摩沖だ。
薩摩で揚がる鰹はまだ若くてほっそりしている。
そいつが土佐、伊勢と上るうちに餌をたらふく食ってどんどん肥えていく。
伊豆に着く頃には、まるまる太って、その分のあぶらも強くなるんです。

◎あぶらが乗った鰹は上物ではないとされる。
鰹の産地が、鹿児島県・枕崎や高知県なのは、まだ若い鰹がとれるからだ。

●「難波の港から江戸まで、船なら4日だ。
歩いたらその三倍かかる」

◎参考までに
元禄14年3月19日(1701年3月26日)午前4時頃、江戸城松之廊下で14日に起きた赤穂城主浅野内匠頭の殿中刃傷事件を知らせる急使を乗せて、2挺の早かごが播州赤穂の国境にある高取峠(たかとりとうげ)にさしかかる。
1挺に4人の担ぎ手と2人の引き手と押し手が1組となり、宿場ごとに乗り継ぎながら昼夜走り続けてきた。その距離は、155里(およそ600キロメートル)。
江戸からわずか4日半という通常では考えられない早さでたどりついたのだ。
播州赤穂に刃傷事件を知らせる早かご

●江戸の鰹節問屋は、荷のほとんどを大坂から仕入れていた。
大坂の長堀川河岸には鰹座という大きな問屋の集まりがあって、鰹節のほとんどがここに集積するからである。

◎『西区史 3巻』*2には、「鰹座橋の北詰辺は鰹節問屋の多かりし所にて、土佐・薩摩・阿波・紀伊・伊予・駿河・伊豆・相模・安房・上総・奥州等より産出したが、殊に土佐と薩摩は国産として多数に廻送し来り…」とあります。
鰹座橋(かつおざばし)交差点の名前の由来について
土佐稲荷神社・土佐公園付近
●「一つ、御前節、四十樽、 大坂山キ印」

◎荷物と仕入れ先の確認をしているのだが、「山キ」とは、鰹節のヤマキだろうか。

●大坂以南の節であれば流通経路として当然だが大坂より東の伊豆節、房総節までが、わざわざ海路で大坂に運ばれ、鰹座を経由して江戸に舞い戻ってくる仕組みである。

■解説■
●この小説はまた、さまざまなエピソードを織り込むことで江戸商家のさまざまな問題を取り上げている。
大店の商家の家族の有り様。長男と三男の結婚の違い。
結婚相手の選択、出産と相続、商家の姑と嫁の関係。
大名武家への納入や取引、商売仲間の儀礼や仁義・・・。
 三代目伊兵衛は、庶民が鰹節を買いやすいようにと、削り節にして商い店を大きくした。

それは、高田郁の■「あきない世伝金と銀■の「買うての幸い、売っての幸せ」。
近江商人の
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。

売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。
近江商人の心得をいったものに通じる。
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Last updated  2021.07.17 11:24:43
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