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カテゴリ:読書
内容紹介(「BOOK」データベースより) 大泉に住んでいた時代のことはほとんど誰にもお話しせず、忘れてというか、封印していました。 しかし今回は、その当時の大泉のことを初めてお話ししようと思います。 12万字書き下ろし・未発表スケッチ収録。70年代回想録。 ■大泉サロン(おおいずみサロン)■は、 かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子と萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である。 「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。 一九七〇年。 学生運動が終焉へと向かうなか、少女マンガの変革を目指した女性たちが東京練馬区の二軒長屋にいた。 中心は萩尾望都と竹宮惠子。 後に「大泉サロン」と呼ばれ、マンガ家のタマゴたちが集ったこの場所で、二人は互いに刺激を受け合い、これまでタブーとされた少年愛やSFといった分野で先鋭的な作品を次々生み出し、少女に熱く支持される。 だがその軌跡は決して平坦ではなかったーー。 『ポーの一族』『風と木の詩』等、名作誕生のプロセスを追いながら、二人の苦悩と友情、瓦解のドラマを描く意欲作。 というのが、これまで私が描いていた二人の関係。 萩尾望都と竹宮恵子の関係を美しい青春の思い出的に思っていた私は、大間違いということに気が付いた。 この本は、萩尾望都の50年間にわたる思いの叫びのような本だった。 なんせ、ひとつ屋根の下で一緒に暮らし、切磋琢磨していると思っていた竹宮から 「距離をおきたい」と言われたり、 少年ものを描いたら 「(竹宮も少年ものを描いていたので)盗作ではないか」と言われたり・・・。 あまりのショックで目を患ったり、貧血で倒れ、病院に入ったりしたそうだ。 以来、萩尾望都は、竹宮恵子との関係をなかったことにしていた。 竹宮から「少年の名はジルベール」という大泉時代のことを書いた本が送られて、送り返す。 出版社から「大泉サロンの話を聞きたい」と言われても 「「大泉サロンなんて知らない」と答えている。 ではなぜ、「一度きりの大泉の話」を書いたのか。 それは、竹宮恵子が「少年の名はジルベール」を書いて以来、「大泉時代の話を聞きたい」という出版社が断っても断っても来るからだという。 「これを読んで、これ以後は何も言うな」というのが、萩尾望都の気持ちなんだろう。 過去の混乱と悲しみと怒りにずっと蓋をし、蓋を開けたらマグマが噴出したような本だった。 この他にも1972年に、はじめて海外旅行をした時のことが興味深かった。 当時は、二度といけないだろうと思って一回限りのパスポートだったとか、 横浜から船に乗ってナホトカに行き、ソヴィエトを経由してヨーロッパに行くと安いからと 船、列車、飛行機で行ったとか・・・。 旅行代金は30万円だったそうだ。 一緒に行ったのは、萩尾望都、山岸涼子、竹宮恵子、という豪華な漫画家たちと竹宮の友人。 44日間の旅行の間に、原稿を描いて日本に送ったそうだ。 私もはじめてヨーロッパに行ったのが1972年、同じルートで行ったんだなと懐かしい。 竹宮恵子や山岸涼子のアシスタントを萩尾望都がした話や 反対に、萩尾望都のアシスタントを山岸涼子がした話など今では考えられない巨匠の若かりし頃の話は、 もし、喧嘩別れをしていなければ、トキワ荘のように、何度もドラマになっただろうなと残念で仕方がない。 ■ポーの一族:ユニコーン■ ◆萩尾望都(ハギオモト)◆ 1949年、福岡県生まれ。 1969年、「ルルとミミ」でデビュー以来、SFやファンタジーなどを取り入れた壮大な作風で名作を生み出し続けている。 「ポーの一族」「11人いる!」で 1976年第21回小学館漫画賞、「残酷な神が支配する」で 1997年第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、「バルバラ異界」で 2006年第27回日本SF大賞ほか受賞多数。 2012年には少女マンガ家として初の紫綬褒章を受章。 2016年、40年ぶりに「ポーの一族」の新作を発表。 2017年朝日賞を受賞。 2019年文化功労者に選出(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.08.16 00:18:13
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