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2021.11.13
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テーマ:読書(8622)
カテゴリ:読書
■私の生い立ち■
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「私の生い立ち」は、与謝野晶子が少女時代を思い出して書いた知られざる自伝。
生家、家族、遊び友だち、あるいは学校のことなど、堺ですごした幼少期の生活とその心情が、素直に、細やかに綴られている。
晶子が身近に接して記憶に鮮やかだった少女の姿を描いた「私の見た少女」を併収。
大歌人を育んだ時代の風景を、竹久夢二による挿画とともに深く味わう。
【目次】(「BOOK」データベースより)
私の生い立ち(狸の安兵衛/お歌ちゃん/お師匠さん/屏風と障子/西瓜燈籠/夏祭/嘘/火事 ほか)/
私の見た少女(南さん/おとくの奉公ぶり/商家に生れたあや子さん/巴里のエレンヌさん/楠さん ほか)

●読書メモ● ◎は私のコメント。

●水谷(男の子)は子供のくせに千筋縞の双子織の着物を着ていました。
帯は黒い毛繻子(けじゅす)のくけ帯を貝の口に結んでいました。
紺木綿の前掛けをしていました。

◎晶子は明治11年(1878)生まれで小学校に行きだしたのは、明治17年くらいだろうか。
当時の小学生の男の子の様子。
まったく想像がつかない。
●私は毎朝お歌ちゃんを誘いに寄りました。
「お歌ちゃん おていらへ。」こう呼ぶのです。
寺子屋へ行く子供の習慣が、まだ私の小さいころまで残っていたのです。
●南さんは、(学校に行くとき)いつも一人の女中がついていました。
茶番さんと云った小使の部屋で女中はお嬢さんの人形を造ったりしていつも待っていました。

●ある時に先生は、
「あなた方 室暖(まぬく)めというものを知っていますか。」
と云うことから暖炉(ストーブ)の話をして下さいましたが(略)

ストーブを「室暖(まぬく)め」って、「すゑひろがりず」か!!

海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家  晶子

●与謝野晶子は、明治11年(1878)12月7日、堺県堺区(現大阪府堺市堺区)に生まれた。
戸籍名は「しょう」志ようで届けられ、その時代、女の子は仮名で届けられ、日常においては、「子」をつけて呼ぶことが多かった。

われの名に太陽を三つ重ねたる親ありしかど淋し末の日 晶子

◎私の祖母は、明治21年生まれだが、「りやう」と書いて「りょう」と読んだ。
森鴎外は、短歌を生涯はなさなかった。
「みだれ髪」が刊行され評判が定着すると、戦地に本を取り寄せて読みふけった。
そのうち、晶子の作品に焦点をしぼりしきりに探り始める。
 (晶子の歌をこきおろし)なぜこうも着物のあれこればかりが多いのかといぶかるのだ。
 浅黄地、扇ながし、都染、九尺のしごき、など出てきても男の自分に理解できないことがシャクでたまらない、
というかのように。
しかし、そのうち鴎外はそれこそが晶子の「絢爛」のゆえんなのだと結論づけるにいたる。
そして、その「絢爛」を実践すべく、晶子の歌をなぞるように真似て、得意顔で妹に書き送るのであった。
(略)
 晶子を模倣した鴎外の歌には、緋綸子、函迫(はこせこ)、羽二重、錆茶金襴などが詠み入れられ・・・(略)


鴎外も認めた与謝野晶子。

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Last updated  2021.11.23 00:10:48
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