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カテゴリ:読書
内容紹介(出版社より) 湯上りの身拭いにすぎなかった「湯帷子」を、夕涼みや寛ぎ着としての「浴衣」に──そんな思いから売り出した五鈴屋の藍染め浴衣地は、江戸中の支持を集めた。 店主の幸は「一時の流行りで終らせないためにはどうすべきか」を考え続ける。 折しも宝暦十年、辰の年。 かねてよりの予言通り、江戸の街を災禍が襲う。 困難を極める状況の中で、「買うての幸い、売っての幸せ」を貫くため、幸のくだす決断とは何か。 大海に出るために、風を信じて帆を上げる五鈴屋の主従と仲間たちの奮闘を描く、シリーズ第十一弾!! 【目次】◆第一章 咲くやこの花 ◆第二章 十年の辰年(たつどし) ◆日向雨(ひなたあめ) ◆第四章 英断 ◆第五章 万里一空 ◆第六章 悪手、妙手 ◆第七章 錦上添花(きんじょうてんか)◆第八章 天赦日の客 ◆第九章 深川へ ◆第十章 土俵際 ◆第十一章 三度の虹 ◆第十二章 触れ太鼓 ●読書メモ● ◎は私の感想。 ◆第一章 咲くやこの花 ●勝栗(かちぐり)ぃ、橙ぃ 縁起物ぉ、蓬莱飾りぃ 天秤棒をしならせて、迎春用の物売りがまだ眠そうな声を上げる。 ●衣紋かけには、花嫁衣装となる藍染紬の綿入れ。 ◎冬であれば、花嫁衣裳でも綿入れだった。 ●難波の梅の名にしおう。匂いも四方にあまねく。 一花ひらくれば天下みな。春なれや万代の。 なお安全ぞ.めでたき。 難波津に 咲くやこ の花、と歌われた梅。 ◎難波津に 咲くやこの花 冬ごもり いまを春べ 咲くや この花 王 仁(わ に) 訳:難波津に梅の花が咲いている。冬ごもりをして、今こそ春が来たといって梅の花が咲いている。 百済から日本に渡来し、儒教や漢字を伝えたという王仁(わに)が仁徳天皇の即位を祝って詠んだ歌といわれています。 『古今和歌集』の仮名序で、紀貫之が「歌の父母のようにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と紹介しているように、習字でまず習うものがこの歌でした。 平安時代の『源氏物語』にも、光源氏がまだ幼い紫の上に結婚を申し込んだ際、祖母が「まだ難波津の歌さえもちゃんと書けない子ども で す か ら 」 と 答 え る 場 面 が あ り ま す 。 さて、競技かるたでは、試合の始めに、百人一首には入っていない歌を読み、試合開始の合図とします。これを「序 歌」と言います。 全日本かるた協会の依頼により、文学博士で歌人でもある佐佐木信綱氏が、この「難波津に」の歌を序歌として選定しました。 ◆第二章 十年の辰年(たつどし) 「気のせいか、と思うたんだすが、さいでん(先ほど)から、妙な・・・(略) ◎「さいでん」とは言わず、「さいぜん」と言うのだがと調べたら、やはり■さいぜん■とあった。 「ざ」を「だ」という地方は和歌山などにあって、 「ぞう」を「どう」、「どうぞ」を「どうど」などと言う。 作者の高田郁氏は、兵庫県出身。 ●店主と支配人は手分けして集めた帳簿類を、広げた風呂敷包みの真ん中に置いた。 漬物石を載せてぎゅっと包むと、二人して庭の井戸てと急ぐ。 息を揃えて手を放せば、帳簿類の入った風呂敷包は井戸の底へと吸い込まれ、どぶん、と大きな水音が響いた。 ◎火事の場合の帳簿の残したか。 帳簿に用いる紙は、水に強く破れにくいものを選んでいる。 しっかり乾けば水に漬けても文字が滲むことがない。 ◆第七章 錦上添花(きんじょうてんか) ●相撲と同じく、歌舞伎も楽日を千秋楽と呼ぶが、これまで散々、火事で焼失しているため、徹底的に「火」を避けて、「千穐楽」の字を当てる。 ◆第九章 深川へ ●親和文字 ◎■三井親和(元禄13年(1700)ー天明2年(1782))■ 深川に住んでいて、深川をとても愛していたということで、深川親和と名乗っていたそうです。当時の江戸では、 「どの祭りにも深川の親仁(おやじ)出る」 とかの川柳があったりしたほどで、親和の書いた神社や商家などの「のぼり」や「扁額」がそこら中に溢れていて、江戸を代表する書家だったということ。 また、親和が書いた筆跡を模様化して着物や帯にした親和染めというのもあったくらい、ブームになった人だったそうです。 五鈴屋でも親和文字で浴衣を作り大評判となる。 ◆第十章 土俵際 ●「勧進相撲では取り組みの終わったあと、土俵の上には着物や羽織の山ができる」 「着物や羽織の山?」 何故そんなものが、と幸は眉根を寄せ、首を傾げた。(略) 「それが祝儀の代わりなんですよ。 興奮のあまり、褌一丁になる客も大勢いる」 ◆第十二章 触れ太鼓 ●相撲の興行を公に知らせるものは太鼓で、しかも二種類ある。 まず、初日前日、棒にぶら下げた太鼓を打ち鳴らして、江戸市中を回り歩く「触れ太鼓」。 十五人ほどが一組となり、「江戸太鼓」「深川太鼓」「品川太鼓」「浅草太鼓」「四谷太鼓」の五組で、満遍なく、明日からの興行を知らせて回るのだ。 今ひとつは「櫓太鼓」。 初日、朝七つ(午前四時)から打ち始めて、勧進大相撲の開催を周囲に知らしめる。 この櫓太鼓は興行の間中、朝七つから夕七つ(午後四時)まで打ち続ける。 ◎♪お江戸日本橋七つ立ち~ という歌があるが、朝4時に出発したのか!! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.11.29 00:12:49
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