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2021.12.11
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カテゴリ:国内旅行

■11月10日(水)
日本平から、富士山を眺めた。

日本平は駿河湾の沿岸近くにある有度山(うどやま)の山頂とその一帯で、富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見え、北には赤石山脈(南アルプス)も望め、眼下には清水区の街並みと清水港が広がる。

ここから、久能山東照宮に行く。

日本平山頂西側にある日本平駅から日本平ロープウェイで約5分(日本平山頂には、公設・静岡鉄道私有のものを含め、一般車・観光バス向けの無料駐車場が多数用意され、ロープウェイ運行時間内は自由に利用できる)。


葵の紋つき、駕籠のようなロープウェイ。

久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、
長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。

晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。


ロープウェイで行くから、しんどくないだろうというのは、間違いだった。
ロープウェイの駅から、階段が続く、続く・・・。

この神社に勤める人は、ロープウェイを使わず、ここまで石段で登り降りる!
死んでまうやろーー!!_| ̄|○

久能山東照宮
江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。
2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。

家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と久能山の重要性を説いたといわれる。
死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、
元和3年(1617年)12月には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。

家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、
日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。

日光山の東照社は3代将軍・家光の代になって「寛永の大造替」と呼ばれる大改築がされ、
徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。
同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、

▲薬師堂(現・日枝神社)、

神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(現存は無い)、

楼門が増築された。

(▲五重の塔の跡)
造営以来の多くの建造物が現存するが、寛永期に徳川家光が造営を命じた五重塔は、明治時代初期の神仏分離によって解体を余儀なくされた。

午後に続く。
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Last updated  2021.12.11 00:07:34
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