カテゴリ:読書
今なお、全世界の人々を魅了!!美と個性の皇妃の数奇な運命!! 没後百年たってもますます人気を集める悲劇の女(ひと)エリザベート。その魅力の秘密は何だったのか?!19世紀末ヨーロッパの歴史と共に描く「女」の貫き方!! 19世紀半ば、隆盛を誇る名門ハプスブルク家の若き当主、オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフは、バイエルンの公女エリザベート姫に出合い、電撃的な恋に落ちる。身分的には何の問題もなく見えたこの結婚は、自由を愛するエリザベートの個性によってけっして幸福とはならなかった。しかし全ヨーロッパを魅了したこの美貌の皇妃と、彼女の苦しみを深く理解し愛した皇帝との物語は、時代を超えて人々の心を打ち続けている。華麗なタッチで綴る歴史絵巻!! 「バイエルンの薔薇」と呼ばれ、ハプスブルク家六百有余年の歴史上最も美しいといわれた皇妃エリザベート。 激動の時代、彼女は嫉妬と羨望のなか、皇室の因習に抗い自由奔放に生きた。 没後百年を経てもオーストリアの人々の心を捉えてはなさない"シシィ"エリザベートの波瀾万丈の人生をいきいきと描いた決定版! ■若さと美貌を永遠に保持するため、■ 二十代からベジタリアンとなったエリザベートは日に三回体重計に乗り、痩身に専心。 一七二センチという長身だったが、体重は四十五―七キロを保ち、ウェストは五十一センチにも絞り込まれた。 断食を始めとする過度なダイエットのほか、北欧で生まれたばかりの体操を即座に取り込むなどして体形維持に努めた。 背中がまっすぐになるよう枕は使わずに寝ていたという。 ★皇妃エリザベート(愛称 シシイ)と周りの人々。 60歳で殺害される。 ★夫・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ エリーザベトのいとこ。 母親同士が姉妹。 夫、肩書は47にのぼる。 ●子ども(4人) ★ゾフィー(1855年 - 1857年)幼くして死亡。 ★ギーゼラ(1856年 - 1932年) ★ルドルフ(1858年 - 1889年) オーストリア皇太子(謎の死をとげる。他殺された。自殺の説もある。) ★マリー・ヴァレリー(1868年 - 1924年)エリーザベトの愛人との間の子という噂もある。 エーデルワイスの花と、星の形のダイヤモンドをちりばめた腰まで届く長い栗色の髪、 同じような星型の刺繍のある白い豪華なドレスに身を包んだエリザベートの美しさは、典雅、気品、端麗、威厳、孤高、静寂、 ロマンティシズム、あらゆる美しさの要素が混ざり合っていて、いかなる言葉を並べても表現できないほどの存在感と迫力を 持っていて、見るものを金縛りにした。 それはこの世のものとも思われぬ、幻想的な妖精の魅力をたたえている絵であった。 エリザベートの、皇太子のルドルフは、31歳のときに男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラと情死する。 それが、「マイヤーリンク事件」として有名。 「うたかたの恋」というタイトルでも知られている。 ドイツ・ベイエルこの最後の国王ルドウイヒ二世が1869年から17年の歳月と巨額をかけて完成した城の城主、国王ルドウイヒ二世は、父方の親戚で、エリザベートのいとこになる。 この王も謎の死をとげた。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.23 17:37:53
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