テーマ:読書(8615)
カテゴリ:読書
鴎外の子であることの幸福。 鴎外の子であることの不幸。 ■内容紹介(出版社より)【第34回柴田錬三郎賞受賞作】 明治44年、文豪・森鴎外の末子として誕生した類。 優しい父と美しい母志げ、姉の茉莉、杏奴と千駄木の大きな屋敷で何不自由なく暮らしていた。 大正11年に父が亡くなり、生活は一変。 大きな喪失を抱えながら、自らの道を模索する類は、杏奴とともに画業を志しパリへ遊学。 帰国後に母を看取り、やがて、画家・安宅安五郎の娘と結婚。 明るい未来が開けるはずが、戦争によって財産が失われ困窮していくーー。 昭和26年、心機一転を図り東京・千駄木で書店を開業。 忙しない日々のなか、身を削り挑んだ文筆の道で才能を認められていくが……。 明治、大正、昭和、平成。 時代の荒波に大きく揺さぶられながら、自らの生と格闘し続けた生涯が鮮やかによみがえる圧巻の長編小説。 ◆元祖キラキラネーム。 長男は於菟(おと)、長女は茉莉(まり)、次女は杏奴(あんぬ)、次男は不律(ふりつ=夭折))、三男は類(るい)。 長男は於菟(おと)とは、21歳違い。 長女は茉莉(まり)とは、8歳違い。 次女は杏奴(あんぬ)、次男は不律(ふりつ=夭折))、三男は類(るい)。 この中で、長男は於菟(おと)だけは、母親が違う。 ◆類のまわりの人がすごい! ★森鴎外・・・言わずと知れた明治の文豪にして医者。 ★森茉莉・・・姉で小説家。■父の帽子■で54歳にして、日本エッセイストクラブ賞受賞。 森茉莉ファンの私は、■父の麦わら帽子■というカテゴリーを作っている。 ■贅沢貧乏■は、大好きだ。 ★次女、杏奴(あんぬ)の嫁ぎ先は、小堀遠州を先祖に持つ名家。 杏奴(あんぬ)も本を出している。 後に、類と絶縁。 ★杏奴(あんぬ)は独身時代、「源氏物語」の講座に通っていたが、講師は、父鴎外と親交のあった与謝野晶子。 ★星新一 ・・・SF作家。森鴎外は、母方の大伯父。 鴎外の妹、小金井喜美子の孫になるが、小金井喜美子と類の母親は不仲だった。 ★詩人で作家の佐藤春夫や歌人で医者の斎藤茂吉は、類の相談相手。 類と妻が営んでいた書店「千朶(せんだ)書房」という名は、斎藤茂吉がつけた。 ●いくら有名人が周りにいても、類自身に値打ちがない。 出版社では、 「威張るんじゃない」 「何様のつもりなんだ。 そういうことを言うんなら、絶対に載せんぞ。 ああ、ぶっ潰してやる。 いいか、肝に銘じておきたまえ。 鴎外が偉いんであって、君が偉いんじゃない」と怒鳴られた。 ◆類は大金持ちで超有名人の父を持っていたので、やることなすことが違う。 ★「坊ちゃま、遊びましょう」通りに出て子どもに遊ぼうと誘う時の類の言葉。 誘われた子どもは、類を取り囲んで囃す。 ★類は、茉莉と一緒に蝮酒を飲むのだが、ドウム兄弟のリキュール・グラス。 アアル・ヌウボウ期特有の草花模様の堀を施した緑色のグラスで、唇が降れる縁には金を細く巻いてある。 ◆口の悪かった鴎外の妻。 鴎外の妻、類たちきょうだいの母・志げは、美術品のように美しかったが、たいそう口が悪かった。 ★杏奴・・・「子どもの頃、こんなに醜い子を産んだ覚えはないって言われたのよ。 何を着せても似合わない、精がないって」 ★茉莉「醜いくらいいいじゃない」と負けずに言う。 「私なんて、仙台の嫁ぎ先から帰された時、人間以下だと言われたわ」 ★類「僕なんぞ、死んでくれだよ」 ◆母、志げの箪笥から行方不明だった、鴎外の小倉時代の日記「小倉日記」を発見する。 「小倉日記」とは鴎外が小倉に赴任した時の日記で行方不明になっていた。 実は、「類」を知ったのは、■林真理子YouTube:第34回年柴田錬三郎賞受賞!『類』■ この動画の5:20から「小倉日記」の話。 類は、母親の箪笥から日記を発見し、たんたんと発表する。 その頃現れたのが、松本清張。 清張は、この日記の発見を題材に、■「或る『小倉日記』伝」■を発表。 森鴎外の小倉在住時代の足跡を、十年の歳月をかけてひたすら調査する田上耕作とその母の話にしている。 松本清張は、「或る『小倉日記』伝」の前の年、■「西郷札」■で直木賞候補。 翌年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞。 以後の活躍は、素晴らしく1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。 たんたんと発表する鴎外の息子、類と一労働者でしかなかった松本清張の力量の差!! 類は、清張の「或る『小倉日記』伝」を見て、 「僕はなぜ、こういう小説を思いつかなかったのだろう 僕こそが当事者であったのに」と肩を落とした。 類は、小学校の頃から勉強が出来なかった。 よく泣く子で、やっと入った中学も中退。 中学を中退して、家でぶらぶらしていると体裁が悪いから、 絵を学びに姉の杏奴(あんぬ)とパリに行ったけど、もちろん、絵描きになれなかった。 物書きとしても食べていけるほどではなかった。 妻に頼まれて、親戚の紹介で勤めるも、クビになる。 学力がなく、絵や文才もないのなら、植木職人になればよかったのに・・・。 類は植物を好んだから・・・。 しかし、鴎外の子供は、植木職人になれなかった。 その代わり、父の残した財産と人脈で、 鴎外の子であることの幸福。 鴎外の子であることの不幸。を素直に受け入れ、明治、大正、昭和、平成と生きた。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書] カテゴリの最新記事
|
|