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カテゴリ:国内旅行
■4月11日(月)-2
(▲丹波篠山市をあらわすデザイン。松、城の石垣、ササユリ。) (▲町人のエリア) 篠山城(ささやまじょう)の後、平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「篠山の町並み」を歩いた。 まず、御徒町(おかちまち)から歩く。 西新町の武家町は、主に篠山城の外堀に面した上級武士の屋敷群と、その一本西に通る御徒士町(おかちまち)通りに沿った下級武士の屋敷群から構成されている。 (徒歩(かち)たちのエリア。馬に乗れず、歩く=徒歩ので徒歩。下級武士のこと。) 御徒士町通りはその名の通りかつて徒士(かち)たちが住んでいた通りであり、 現在も茅葺入母屋屋根の主屋や土蔵、土塀に門などを持つ武家屋敷が連続して建ち並び、良好な武家町景観を保っている。 一般的な屋敷の敷地は間口8間に奥行き25間。 広々とした道路に向けて門があり、門から2間ほど後退したところに主屋がある。 さらに主屋の奥には庭園や土蔵、竹やぶなどが配されている。 ▲道と塀の間に6尺(1.8m)幅の犬走(いぬばしり)と呼ばれる空き地があります。 これは、天保元(1830)年の大火の後、延焼を防ぐために通りの幅を広くしたことによります。 ▲この橋を渡ると商家エリアになる。 橋の向かって右には、牢屋があったそうだ!! 旧商家町は、篠山城跡の南東に位置する小川町と河原町付近。 江戸末期から昭和初めの町家や土蔵が立ち並び、妻入の中二階建て、桟瓦葺、白壁に出格子の西坂家や川端家などの家々がある。 ▲この家の市松模様のガラス戸が大好きになった♥ ■丹波篠山には、「「日本六古窯(にほんろっこよう)」のひとつ、丹波焼がある。■ 「日本六古窯」は、古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの産地(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称です。 丹波焼、または立杭焼ともいう。 王地山焼きの焼き物の展もしていた。 江戸時代末期、文政年間(1818〜30)、当時の篠山藩主であった青山忠裕(あおやまただやす)がこの王地山の地に築いた藩窯です。 当時、大名たちの間では、茶器を焼く藩窯を持つことが流行していました。 また、藩主の社交や藩内の産業育成などが開窯の背景であったと考えられています。 篠山藩や地元の豪商などの保護もあり、嘉永年間(1848~54)の最盛期には幾多の気品ある作品が焼かれていましたが、明治2年(1869)廃藩置県を目前にして廃窯の運命となりました。 ▲休憩用にベンチの屋根が焼き物の窯の屋根風になっていた。 ▲階段は、陶器の割れたものをアクセントに! 4月11日は、桜はまだ残っているし、柳の緑は、目に痛いほどの色だった。 突然、風が吹いてきて、桜の花びらが舞い始めた。 映画のワンシーンのような春の風景に、ガイド氏もシャッターを切っていた。 ゆく春を丹波の人と惜しみけり はるな 行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉 (元歌) 琵琶湖のある近江の国の春の美しさを近江の人たちと過ごし、行く春を近江の人たちと惜しんだのである。 鳥取泊。この宿は、部屋が広く、パソコンが出来るスペースも広くとってあってよかった。 ●9233歩 ■2022.4.11(月)丹波篠山:篠山城■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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