テーマ:国内旅行について(2622)
カテゴリ:国内旅行
■4/13-2 大阪市内を流れる土佐堀川に■「淀屋橋」■と■「常安橋」■という橋があるが、これらは、江戸時代の大坂の豪商、「淀屋」に由来する。 「天下の台所 大坂」の土台を築いた淀屋。 その総資産は約20億両(現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)。 全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展することに大きく寄与した。 (▲大阪・淀屋橋横にある淀屋の碑) 栄華を極めた淀屋だったが、江戸幕府によって全財産を没収されます。 闕所(けっしょ)=所払いを言い渡され、その場所で商売をすることも叶わず、広大な店も莫大な財産もすべて取り上げられます。 淀屋はもう終わりかと思われましたが、実は鳥取県倉吉市にひっそりと暖簾分けをした「倉吉淀屋」があったのでした。 四代、淀屋重當(よどやじゅうとう、しげまさ) 寛永11年(1634年) - 元禄10年(1697年)が、闕所処分とされる事を予想し、番頭であった牧田仁右衛門に暖簾分けをした。 ▲淀屋が闕所(けっしょ)=所払いとなった理由。 ▲淀屋が倉吉の地を選んだ理由。 この屋敷は、倉吉の「淀屋」。 暖簾分けをしてできた倉吉淀屋は、倉吉を代表する商家となります。 そのきっかけとなったのが稲扱千刃でした。 爆発的なヒット商品となった稲扱千刃を製造販売し、倉吉絣とともに売り出して、着々と発展していきます。 淀屋が暖簾分けをしてできた倉吉淀屋は、倉吉を代表する商家となります。 倉吉淀屋の4代目 牧田五郎右衛門の頃には、もともと淀屋があった大坂の土地を買い戻すまでに至りました。 中は大部分が修復されていますが、一部当時の姿を残す柱などがあります。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ▲■淀屋橋■ 橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。 米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島へ移った(後の堂島米市場)。 2008年には、「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリート橋としては珍しく重要文化財に指定された。 ■淀屋橋■ ▲■常安橋■ ■山陰(鳥取)紀行:鳥取に行く前に丹波篠山地方にある篠山城■ ■山陰(鳥取)紀行:重伝建・丹波篠山城下町■ ■山陰(鳥取)紀行:鳥取城と仁風閣■ ■山陰(鳥取)紀行:鳥取市・鹿野■ ■山陰(鳥取)紀行:倉吉市内観光■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.05.09 01:05:06
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