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2022.05.09
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カテゴリ:国内旅行

■4/13-2
大阪市内を流れる土佐堀川に■「淀屋橋」■と■「常安橋」■という橋があるが、これらは、江戸時代の大坂の豪商、「淀屋」に由来する。

「天下の台所 大坂」の土台を築いた淀屋。
その総資産は約20億両(現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)。
全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展することに大きく寄与した。


(▲大阪・淀屋橋横にある淀屋の碑)
栄華を極めた淀屋だったが、江戸幕府によって全財産を没収されます。
闕所(けっしょ)=所払いを言い渡され、その場所で商売をすることも叶わず、広大な店も莫大な財産もすべて取り上げられます。

 淀屋はもう終わりかと思われましたが、実は鳥取県倉吉市にひっそりと暖簾分けをした「倉吉淀屋」があったのでした。

四代、淀屋重當(よどやじゅうとう、しげまさ) 寛永11年(1634年) - 元禄10年(1697年)が、闕所処分とされる事を予想し、番頭であった牧田仁右衛門に暖簾分けをした。

▲淀屋が闕所(けっしょ)=所払いとなった理由。

▲淀屋が倉吉の地を選んだ理由。

この屋敷は、倉吉の「淀屋」。
暖簾分けをしてできた倉吉淀屋は、倉吉を代表する商家となります。

そのきっかけとなったのが稲扱千刃でした。

爆発的なヒット商品となった稲扱千刃を製造販売し、倉吉絣とともに売り出して、着々と発展していきます。

淀屋が暖簾分けをしてできた倉吉淀屋は、倉吉を代表する商家となります。
倉吉淀屋の4代目 牧田五郎右衛門の頃には、もともと淀屋があった大坂の土地を買い戻すまでに至りました。


中は大部分が修復されていますが、一部当時の姿を残す柱などがあります。
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▲■淀屋橋
橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。
米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島へ移った(後の堂島米市場)。

2008年には、「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリート橋としては珍しく重要文化財に指定された。

淀屋橋

▲■常安橋
靴山陰(鳥取)紀行:鳥取に行く前に丹波篠山地方にある篠山城
山陰(鳥取)紀行:重伝建・丹波篠山城下町
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Last updated  2022.05.09 01:05:06
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