テーマ:国内旅行について(2619)
カテゴリ:国内旅行
■6/13日(月) 青森県→秋田県→今、青森県・弘前(ひろさき)。 この日、午前中は、ガイドさんの案内で青森県弘前市の弘前城を見る。 津軽氏の居城でした。 津軽信枚によって築城された当初は「鷹岡城」と呼ばれていましたが、南光坊天海のアドバイスにしたがって地名を「弘前」に改称し、城名も弘前城となりました。 築城当時、天守閣は現在の本丸西南の隅にあり、五層の堂々たる天守がそびえ建っていました。 寛永四年(1627年)九月十日、この日の亥の刻(午後十時頃)、天守に雷が落ちました。 落雷により天守は炎上し、四層目には火薬を置いていたため大爆発を起こし焼失してしまいました。 天守は、土台石垣から南の堀へ落ちて炎上し、火薬が爆破した時には、柱、白壁など遠く半径約十キロメートルあたりまで飛び散ったと伝えられています。 この変事は、早速幕府にも報告され、秋田藩主・佐竹義宣は、鉄砲300挺を送って見舞いの使者を来訪させたといいます。(「弘前市史 藩政編」P107~P108弘前市) 当時、この天守炎上は、祟りによるものと信じられていました。 そこで、信枚はこの祟りから逃れるため、「高岡」と呼ばれていた藩都を「弘前」と改称しました。 この改称は信枚の師である天台宗大僧正・天海の助言によるものだといわれています。 「弘前」という名前の意味は、天台密教における破邪の法から名付けられており、 魔除けの意味があるそうです。 ▲石垣の修理中。 石垣修理中につき、天守は引っ張って近くに移動。 これを曳家といってテレビでも放送されていた。 ■弘前城 曳家■ 城の鯱(しゃち)は木で出来ている。 冬、雪の重さを考えて、焼き物よりも軽い木を使用している。 ▲ここは、城主の住まいがあったところ。 ここから▼岩木山に向かって、毎朝祈る。 明治のはじめに、城の中に桜を植えようという計画があったが 「とんでもない!!」と結構多くの元武士の大反対にあった。 弘前市は東北地方北部に位置し桜の開花時期が比較的遅く、花見に適した時期がおおむねゴールデンウィークと重なることもあり、弘前さくらまつりには日本全国から観光客が訪れる。 ▲桜の木と木の間に見えるハート💗は、偶然のたまもの。 ▲弘前は、どこまでも桜推しだから、スプーンも桜の形!!▼ 青森といえば林檎であちこちに、林檎が!! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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