テーマ:国内旅行について(2620)
カテゴリ:国内旅行
■6/13日-2(月)
江戸時代に津軽藩の城下町として栄えた弘前。 明治時代に入って、外国人教育者や宣教師を積極的に雇い入れたことが1つの契機となって、多くの教会・洋館が建造された。 太平洋戦争末期に空襲で焼け野原となった青森市のような戦禍を被らなかったことや、市民の文化財保護意識の高さなどから、そうした建築物の一部は現在も残り、旅行者の目を楽しませてくれる。 ◆弘前昇天教会は、◆ イギリス国教会の伝統を引くプロテスタント系の教会です。 1896(明治29)年に弘前で宣教が始まり伝道の講義所として設けられ、1921(大正10)年に宣教師ジェームズ・ガーディナーが設計し、大工の林 緑の手によって現在の聖堂が建築されました。 ◆旧弘前市立図書館◆ 設計・施工は堀江佐吉。 1906年に日露戦争の戦勝を記念して竣工し、1931年まで図書館として市民に開かれていた。 八角形の双塔を有する木造3階建のルネッサンス様式を基調としつつ、和風の建築様式も採用されている。 外壁は白、窓の周囲は緑というコントラストが晴天時に映え、弘前公園周縁では随一のランドマーク。 県の重要文化財に指定されている。 ◆旧第五十九銀行本店本館◆ 堀江佐吉が設計・施工し、1904に竣工した、明治期のルネッサンス風建築様式のものとして、日本でも有数の洋館。防犯・防火を考慮して造られた質実剛健な構造ながらも、「白亜の殿堂」と呼ばれる優美さを併せ持つ。 会議室の天井に金唐革紙という壁紙を使うなど、現在でほとんど見られなくなった意匠が随所にあり、国の重要文化財に指定されている。 現在は「青森銀行記念館」として一般開放され、1階は当銀行と日本の金融史を通観できる資料室になっており、2階は応接室、会議室、大広間などが復元され、当時の様子を今に伝える。 ◆カトリック弘前教会◆ 弘前におけるカトリックの本格的な布教が始まったのは、1878年。 函館での布教活動を一段落させた神父が、津軽海峡を渡って一民家を教会としたのが先駆けという。 その後、1910年になってドミニコ会のモンダナ神父が教会を設立。 オージェ神父が設計し、横山常吉(堀江佐吉の弟)が施工した木造モルタルの平屋建で、ロマネスク風の趣がある。 教会としては小規模なものだが、統一感のとれた美しさがある。 高さ8mの祭壇は、アムステルダム(オランダ)の聖トマス教会にあった1866年製作のものを、譲り受けたという。 弘前に来る前は、アントワープ(ベルギー)で開かれた展覧会で最優秀賞を受賞したというだけあって、 美しいステンドグラスとともに一見の価値がある。 (津軽三味線やリンゴのステンドグラス。) ◆日本基督教団弘前教会◆ 外国人宣教師J・イングに感化を受け、キリスト教徒となった東奥義塾の学生らは、1875年に弘前教会を創立した。 これが東北初のプロテスタント教会となり、後の1906年に竣工した教会が同じ場所にある。 これは、明治期に建てたものとしては全国的にも非常に珍しい、 双塔木造のゴシック建築物で、両塔の高さは20mもある。 ノートルダム聖堂を参考に設計されたという。 内部の礼拝堂は意外にも簡素な造りで、畳敷きの床など和洋折衷が特徴となっている。 ▼教会のステンドグラスと畳敷のベンチ。▲ 弘前市の中心部、百石町にある「かだれ横丁」。 ここは居酒屋やバーやカレー屋さんなどが集まる地元密着型フードコート。 「かだれ」とは津軽の言葉で「語れ」という意味。 ここでガイドさんと別れた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆旧藤田家別邸◆ 1873年に弘前に生まれ、日活などの社長を歴任後、日本商工会議所の初代会頭に就任するなど、実業家として大正時代を駆け抜けた藤田謙一。 1921年に故郷に別邸を建築し、ほぼ当時の姿で現存する。 設計・建築を手がけたのは、青森県で数多くの洋風建築物を生んだ堀江佐吉の息子の金蔵と幸治。木造の2階建てで、八角形の塔屋があることで欧風らしさが醸し出されている。 現在、1階は「大正浪漫喫茶室」という名の カフェと藤田謙一資料室として公開され、 2階は貸会議室となっている。 建物の右手には、総面積約2万平方メートル、東北第2の広さを誇る庭園がある。 これは、藤田が東京から庭師を招いて造園させたもので、藤田記念庭園と呼ばれる。 名園のほまれ高いので、別邸と合わせて見学したい。 ●15330歩 弘前泊 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[国内旅行] カテゴリの最新記事
|
|