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カテゴリ:国内旅行
■6/18(土) 恐山に行く。 滋賀の比叡山、和歌山の高野山と並び、「日本三大霊山」に数えられています(諸説あり)。 その中でも恐山は、死後の世界や地獄との結びつきが強い山として知られているのです。 死者がこの世(此岸)からあの世(彼岸)へ行く途中に渡るといわれる「三途の川」。 宇曽利湖から流れる小川が、まるで三途の川のようだといわれたことがきっかけで、この名前で呼ばれるようになりました。 三途の川には綺麗な朱色の橋(太鼓橋)がかかっており、これを渡って神聖な恐山へ入山することになります。 ▲三途の川で身ぐるみ剥がす奪衣婆(だつえば)左と その衣類を受け取る懸衣翁(けんいおう)。▲ 懸衣翁(けんいおう)は、衣類を傍らの柳の木にかけ、柳の枝の垂れ具合で生前の悪行の軽重を推量する。 「賽の河原」というのは、生まれる前や生まれたばかりに亡くなった赤ちゃんが、三途の川を渡る前に小石を積んで行く場所。 そうすることによって、両親への供養を行っているのだとか。 しかし、積み上げられた小石は何度も何度も鬼によって、崩されてしまいます。 それでも亡くなった赤ちゃんの魂は、菩薩様によって供養される、という伝説が残っています。 数々の地獄を巡った後、見えてくるのが「極楽浜」です。 その美しさや恐山と対照的な景観から、宇曽利湖の砂浜にこの名前がつけられました。 豊かな自然に囲まれ、綺麗なコバルトブルーの水を誇る宇曽利湖。 ついつい飛び込んでしまいたくなりますが、宇曽利湖の水は強い酸性なのでご注意を。 ■冷や水を飲んで一服恐山(おやま)参詣(下北かるた) ▲紫の印、尻屋崎。 尻屋崎周辺の海域は、津軽海峡から太平洋へと潮の流れが変わりやすく、また濃い霧がよく発生するため、海上交通の難所として古くから恐れられ、江戸時代にはここは避けて、下北半島の物資は専ら西廻り航路(北前船)で日本海経由で運ばれた。 太平洋経由の江戸から北上する東廻り航路は江戸中期にようやく八戸までの交通が確保されたにすぎなかった。 蝦夷地の本格的な開発は、この海域をはじめとする、安全な航路と海洋技術の開発を待たねばならなかった。 ■明治から海峡守る尻屋の灯台(下北かるた) 明治9年に尻屋埼灯台ができたが、明治16年から25年の間には16件の海難事故があった。 ■風雪に耐える岬の寒立馬(かんだちめ)(下北かるた) 尻屋埼に生息する寒立馬は、かつては「野放馬」と呼ばれたが、 昭和45年(1970年)に尻屋小中学校の岩佐勉校長が年頭の書き初め会で、 「東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは」 と詠んで以来、「寒立馬」と呼ぶようになった。 「寒立」はカモシカが冬季に山地の高いところで長時間雪中に立ちつくす様を表すマタギ言葉で、冬季、寒風吹きすさぶ尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子がそれに似ていたことから「寒立馬」と詠んだ。 6/9■青森県・青森市・三内丸山遺跡他■ 6/10■青森県:八甲田山雪中行軍で分かったこと■ 6/11-1■青森県・歩きゃ奥入瀬三里半■ 6/11-2■秋田県・青森県:十和田湖■ 6/12■秋田県:レトロな建物の小坂と青森県のレトロな建物、盛美館■ 6/13-1■ガイドさんと歩く弘前・弘前城■ 6/13-2■青森県・弘前市に洋館が多いのはなぜか?■ 6/14■青森県:弘前市:見なきゃ損!武家屋敷から白神山地(秋田側)へ移動■ 6/15-1■秋田県:世界遺産・白神山地をゆく■ 6/15-2■青森県:白神山地「十二湖」■ 6/16-1■青森県:弦の舞橋と太宰治の生家・斜陽館■ 6/16-2■青森県:ごらん、あれが竜飛岬、津軽海峡 梅雨景色■ 6/17■青森県:下北半島=まさかり半島の刃の部分■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.13 00:02:51
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