テーマ:読書(8608)
カテゴリ:読書
江戸の老人たちは、多くの経験をもとに、豊かな知恵を発揮しながら隠居暮らしを楽しんでいた。 なかには、隠居してから見事な変身を遂げ、大きな仕事をした人も少なくない。 人生八十年時代といわれる現在、人生の総仕上げをどうするか、後半生の生き方が問われている。 江戸の元気なご隠居たちのたくましい生きざまから学ぶ、生きる元気が出る本。 北海道の東北部にあるJR根室駅前に着いたのは■2022年9月26日■だった。 駅前にある観光案内書の同じ建物の中に古本屋があって、そこで偶然見つけたのが「江戸の定年後」。50円也。 ●読書メモ● ◎私のコメント ●(略)江戸では寺子屋が増え、享保(きょうほう)六年(1721)には師匠が約八百人いた。 その後も増えつづけ、江戸後期には三千人とも四千人ともいわれるほどになった。 その四割ぐらいが商家の隠居だったという。 たしかに商家であれば、若い頃から読み書きはむろん、ソロバンの扱い方に慣れていたから、寺子屋の師匠にうってつけだった。 ●商家の隠居の中には(略)日本地図を完成させた伊能忠敬がいるし、 俳人の一茶のパトロンになった夏目成美(なつめせいび)のような人もいた。 ●「翁は老人であり、老は年高である。 十五歳以下を童という。 ニ十歳を弱、三十歳を壮、四十歳を強、 五十歳を艾(がい)という(髪の蒼白なことは艾(もぐさ)の色のようである)。 六十歳を耆(き)という(耆とは指であり、力仕事はせず、指さして人を使う)。 七十歳を耄(もう)という(頭髪が白く、よぼよぼしている)。 八十歳を耄(てつ)という(耄は鉄で、皮膚が黒色に変化して鉄のようである)。 九十歳を鮐背(たいはい)という(背にフグのような斑点がある)」 「和漢三才図会」江戸中期の漢方医・寺島良安 ●(略)大名の隠居には「慎み隠居」といって、処罰の一つとして幕府から隠居を命じられることもあった。 (略)一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)のち十五代将軍。 ●(略)慶喜は昼でも居間の雨戸を閉め切り、短く切った竹をところどころにはさみ、明りとりとするという具合だった。 また月代(さかやき)は剃らずに伸びほうだいにし、夏でも入浴しなかった。 ●(略)このため「江戸患い」といわれ、関西では「大坂腫れ」といって、医者も手をこまねくばかりだった。 ◎脚気のこと。大都市では白米を食べるため。 江戸時代の人は武士であれ町人であれ、定年というものはなかったが時宜に恵まれれば隠居となった。 普通の町人などは、体の許す範囲での仕事を寝込むまでやっていたようだ。 現代にも通じる先人の事跡と智恵をまとめた良書だと思う。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.12 00:05:58
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