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2023.04.15
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テーマ:国内旅行(1458)
カテゴリ:国内旅行

■3月25日-2
午前中名古屋市の徳川園を見た後、織田信長の居城だった清州城で名高い清須市に行った。
ガイドさんが見習いガイドさんと一緒に案内してくれた。

清須と清城の歴史

●室町時代応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清須城の始まりといわれています。

●文明8年(1476年)戦乱により下津城が焼失した後の、文明10年(1478年)守護所が清須に移転することで、清須が尾張国の中心地となります。
京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でもあり、尾張の政治・経済・司法の中心地として繁栄を迎えます。

●弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられています。

(信長は、この道を通って桶狭間に向かったという。)
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
●天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ
 城は次男・織田信雄が相続した。

●慶長15年(1610年)徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、
町の建物、町の機能全てが移転する「清須越」が行われました。
これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へ移り、
清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去りました。
なお、名古屋城築城に際し取壊した清須城の資材が再利用され、
特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は、
「清須(洲)櫓」とも呼ばれ清須城天守の古材でつくられたといわれます。

▲五条川に架かる五条橋。
「五条橋まで、持って行ってしまった」とガイドさんは、最近のことのように怒っていた。


現在の橋は名古屋移転前の擬宝珠を復元したもの。

▲五条橋は、名古屋市に引っ越しした。
名古屋市

●慶長18年(1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった

■「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。
古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。
そこで、今回の展示リニューアルに際しては、慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記しています。
また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。

◎私は、五条川の洲に出来た土地ということで「洲」と思っていた。

■現在の清洲城■

現在、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されており、
現在は本丸土塁の一部が残るのみである。
東海道本線以南の城跡(清洲公園)に信長の銅像が、以北の城跡(清洲古城跡公園)に清洲城跡顕彰碑がある。
なお、現在城址のすぐ横を流れる五条川の護岸工事の際に発掘された石垣の一部が、公園内に復元されている。

現在の天守は、平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守である。
創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明である。
そのため、外観や規模は、実在した当時を想像して設計された。

建造された天守は、桃山時代の城を再現するデザインで、江戸時代の漆喰塗廻の白い城とは異なる、装飾に富んだ姿となっている。
●2010年1月に清須市の「清須越四百年事業」のPR役としてフィギュアスケート選手織田信成が清洲城の名誉城主に就任している(任期は1年間)。

●現代にみる清洲越しの距離感。●
清洲城模擬天守からは、遠く名古屋の街が見える。

▲お城の近くに甲冑をつくる工房が・・・!!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

昭和日常博物館■に行った。

約60年という年月で日本の暮らしが大きく変化した、昭和時代。
特に昭和30年代は、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電化製品が普及し、薄暗い裸電球から白々とした蛍光灯へ変化するなど、最も変化の激しかった時代といえます。

そんな昭和時代の暮らしについて展示・保存しているのが、愛知県北名古屋市にある「昭和日常博物館」です。
昭和時代を過ごした方には懐かしく、以降の年代にはレトロで新鮮。

エレベーターを降りると、まるで昭和時代にタイムスリップしたかのような気持ちに。
1955年(昭和30年)~1965年(昭和40年)当時のものが緻密に展示されています。
令和の時代をむかえ、私たちの日常から昭和の暮らしの品々がどんどんと消えつつあります。
トイレのちり紙置き・食品の包装紙・文房具など、一点一点はただ懐かしく、
日常の中でゴミとして捨ててしまいそうなものばかりですが、昭和という時代を後世に伝える大切な資料です。

昭和日常博物館では、12万点以上もの資料を収集・保存。
その中からピックアップした約1万点が展示されています。

▲真ん中の皿の色違いが今もうちにある!!
靴●9512歩


■2023.3月23日(木)■愛知県・名古屋市・有松
■3月24日-1■愛知県:名古屋市・熱田神宮
■3月24日-2■愛知県:名古屋城
■3月24日-3■愛知県:名古屋市・四間道(しけみち)
■3月25-1■愛知県:名古屋市・徳川園
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Last updated  2023.04.15 00:23:02
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