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■4/1-1 江戸時代、橋のなかった静岡県・島田市の大井川は、越すに越されぬ大井川と言われた。 明治になって架けられた橋が蓬莱橋。 ここを今回も2人のガイドさんの案内で見てきた。 ■大井川にかかる蓬莱橋は■ 全長897.4m、通行幅2.4mの昔懐かしい木造歩道橋で、1997年に「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。 現在では数少ない賃取橋で、橋のたもとにいる「橋番」に通行料を支払ってから渡ります。 1日250~300人、年間にすると10万人以上が訪れています。 牧之原台地開墾のために生まれた橋 大井川右岸にある牧之原台地は全国有数の茶園です。 蓬莱橋は牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。 橋が架けられる前は大井川を小船で渡らなければならず、行き来するのに危険を伴っていました。 現在も蓬莱橋は農道としての重要な役割を担うほか、貴重な歴史的土地改良施設で茶園を管理するために利用されています。 ■大井川に橋や渡し船がなかった本当の理由■ 江戸時代において、大井川を渡るためには川越人足とよばれる人たちに肩車をしてもらうか、蓮台と呼ばれる梯子のようなものに乗せてもらう以外に方法はありませんでした。 決められた川渡し場以外の場所を、自ら歩いたり泳いで川を渡ったりした場合には、 「間通(かんどう)越し」とか「廻し越し」などといわれ、幕府より厳罰に処せられたようです。 雨などによって川の水かさが増すと、川止めとなって渡ることができなくなりました。 けれど 大井川に幕府が渡し船を認めてしまうと、川越人足たちが職を失ってしまうことになります。 これだけの規模になってしまうと、幕府もその既得権益を保護せざる負えなくなってしまったと考えらえます。 ▲馬方は知らじ時雨の大井川 松尾芭蕉▼ ▲街道の左右に「せぎ跡」があります。 河原の石が積まれ、溝に板を挟んで堤防の役目をしました。▼ 私は「せく」と言っていた。 この「せぎ跡」より西側は河原でした。 上流にダムが出来て、長い橋のほとんどは河原。 ▲橋の下は道路になっている。▼ ▲江戸期の髪型・島田。 島田という名前の由来は、東海道五十三次のひとつ島田宿(現在の静岡県島田市にあった宿場)の女郎に由来すると言うもの。(諸説ある。) 全国有数の茶畑のある牧之原台地へと大井川を超えて向かう。 ■2023.3月23日(木)■愛知県・名古屋市・有松■ ■3月24日-1■愛知県:名古屋市・熱田神宮■ ■3月24日-2■愛知県:名古屋城■ ■3月24日-3■愛知県:名古屋市・四間道(しけみち)■ ■3月25-1■愛知県:名古屋市・徳川園■ ■3月25日-2■愛知県:清須市・清州城/北名古屋市「昭和日常博物館」■ ■3月26日-1■愛知県・運のいい城・犬山城■ ■3月26日-2■愛知県:明治村(犬山市)■ ■3月27日-1■愛知県:家康の先祖の地:松平郷■ ■3月27日-2■愛知県:三河松平菩提寺・大樹寺(岡崎市)■ ■3月27日-3■愛知県:家康の産まれた城・岡崎城■ ■3月28日-1■愛知県・豊川稲荷:■ ■3月28日-2■愛知県:吉田城と豊橋市公会堂■ ■3月29日-1■静岡県:浜松市・姫街道の気賀関所■ ■3月29日-2■静岡県:浜松市・「おんな城主直虎」ゆかりの地■ ■3月29日-3■静岡県:浜松市:メルヘン感がすごい!「ぬくもりの森」■ ■3月30日■静岡県:浜松市:出世城・浜松城と日本庭園・蜆塚■ ■3月31日-1■静岡県:磐田市:旧赤松記念館/旧見附学校 ■3月31日-2■静岡県:掛川市:掛川城/大日本報徳社■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.05.28 11:41:22
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