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■4/5 東海道二川宿をガイドさんの案内で見て回った。 ■本陣■ 本陣は宿場の有力者で大きな家屋敷を持つものが指定されました。 しかし、長い年月是を維持することは困難で、本陣職を他に譲る場合も少なくありませんでした。 二川宿本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めた馬場家の遺構で、昭和60年(1985)に馬場家より本陣の土地建物の寄贈を寄贈を受けたことを契機に、昭和63年より3ヵ年をかけて改修工事を行い、本陣建物が最も整備されてた江戸時代末期の姿を再現しました。 大名などの宿泊の際には大名の定紋入りの幔幕を張り、高張提灯を掲げました。 また表門脇には番所が設けられ、大名が宿泊する際には不寝番が置かれました。 上段の間は、大名等の貴人が休泊する部屋で、本陣の中で最も重要な部分でした。 他の部屋より一段高くなっており、大床・付書院・御簾が付けられていました。 一段高い理由の一つとして、床下から襲われた時、畳一枚より2枚の方が武器が通りににくく安全だから。 庭の石は、もし何かあった時の逃げ道を示している。 ■旅籠屋「清明屋」■ 「旅籠屋(はたごや)」とは江戸時代に盛んになった形式の旅館で、自炊形式の「木賃宿(きちんやど)」に対して、一泊二食付きの宿屋でした。 江戸時代の二川宿には平均して30軒程度の旅籠屋があり、 そのほとんどは本陣・脇本陣や問屋場のあった宿場の中心である二川中町に集中していました。 旅籠屋「清明屋(せいめいや)」は、江戸時代後期から明治時代まで二川宿で営まれた旅籠屋で、 当主は代々八郎兵衛を名乗っていました。 本陣の東隣に位置することから、大名行列が本陣に宿泊する際には家老などの上級武士の宿泊所としても利用されました。 「せいめい屋」ってどういう意味だろう? 店の名前は、天守の出身地、例えば「越後屋」みたいにつけるのではないか? この店の紋は「五芒星(ごぼうせい)」。 「五芒星」と「晴明」って、あの陰陽師の??!! 調べてみたが、陰陽師と「晴明屋」との関係は分からない。 ***************** 当時の暮らし向きが分かる博物館的な建物だった。 朝沢山食べてので、昼は軽くコンニャクを。 愛知県の名物、味噌田楽だ。 二川宿を後に、渥美半島へ。 明日、伊良湖岬からフェリーで伊勢に渡るのだ。 ●5603歩 ■2023.3月23日(木)■愛知県・名古屋市・有松■ ■3月24日-1■愛知県:名古屋市・熱田神宮■ ■3月24日-2■愛知県:名古屋城■ ■3月24日-3■愛知県:名古屋市・四間道(しけみち)■ ■3月25-1■愛知県:名古屋市・徳川園■ ■3月25日-2■愛知県:清須市・清州城/北名古屋市「昭和日常博物館」■ ■3月26日-1■愛知県・運のいい城・犬山城■ ■3月26日-2■愛知県:明治村(犬山市)■ ■3月27日-1■愛知県:家康の先祖の地:松平郷■ ■3月27日-2■愛知県:三河松平菩提寺・大樹寺(岡崎市)■ ■3月27日-3■愛知県:家康の産まれた城・岡崎城■ ■3月28日-1■愛知県・豊川稲荷:■ ■3月28日-2■愛知県:吉田城と豊橋市公会堂■ ■3月29日-1■静岡県:浜松市・姫街道の気賀関所■ ■3月29日-2■静岡県:浜松市・「おんな城主直虎」ゆかりの地■ ■3月29日-3■静岡県:浜松市:メルヘン感がすごい!「ぬくもりの森」■ ■3月30日■静岡県:浜松市:出世城・浜松城と日本庭園・蜆塚■ ■3月31日-1■静岡県:磐田市:旧赤松記念館/旧見附学校 ■3月31日-2■静岡県:掛川市:掛川城/大日本報徳社■ ■4月1日-1■静岡県:島田市:大井川の川越し文化■ ■4月1日-2■静岡県:島田市:牧ノ原台地「ふじのくにお茶ミュージアム」■ ■4月2日■静岡県:SL 大井川鉄道■ ■4月3日-1■静岡県:御前崎灯台/清水邸庭園■ ■4月3日-2■静岡県:横須賀城/中田島砂丘/風車公園■ ■4月5日■静岡県:湖西市:浜名湖上から下から■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.06.05 10:44:19
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