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2024.01.08
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テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書

街道をゆく41:北のまほろば

三内丸山遺跡を訪れる。
八甲田山、青森市の棟方志功記念館、津軽半島の外ケ浜にある蟹田、
義経伝説の残る三厩、津軽最北端の龍飛崎を訪れ、小泊を通って十三湖で夕陽を見、五所川原へ。
●タイトルの「北のまほろば」について。
「まほろば」とは、まろやかな盆地で、まわりが山波にかこまれ、物成りがよく気持のいい野、
として理解したい。
縄文時代、青森県は、豊かな土地だったと思う。
その証拠が三内丸山遺跡だ。

■三内丸山遺跡
青森市郊外で発見された国内最大規模の縄文前期~中期の集落跡。
竪穴住居や大型掘立柱建物などが復元され、資料館「縄文時遊館」も併設。
国の特別史跡。

■八甲田山
青森市の南方の山岳地帯。明治35(1902)年、陸軍の歩兵連隊が雪中行軍中に遭難した事件で有名。

●師団とは。
中将を師団長とするふつう一万数千人の単位。
諸兵科をそなえる総合的な戦闘能力をもっている。
●「八甲田山死の彷徨」の作者新田次郎は、富士山頂の測候所に六年つとめ、登山家でもあり、
当然ながら山岳気象の第一人者であった。
■龍飛崎
津軽海峡の向こうに北海道を望む津軽半島最北端の岬。

灯台や階段国道、太宰治と吉田松陰の記念碑がある。

■棟方志功記念館
青森市出身の板画家・棟方志功の作品が展示される。
展示替えあり。
大作「釈迦十大弟子」は常時展示。
●大才があって学歴がすくないということが、志功の場合、ユーモラスなほど幸いした。
自分の知的世界を構築するための言語は、自分で製造した。
造語である。
*版画ではなく板画といった。
●大正十三年(1924)二十一歳のとき、絵で身を立てるために青森駅を発った。
(略)志功はべつに学校に入るためではないが、紺絣に袴をつけ、学生帽をかぶっていた。
帽子には徽章までついていた。
志功が町の鋳物屋さんに頼んでつくってもらったもので、「画」という文字だった。


●志功は、青森市の古名である善知鳥(うとう)の名を冠した神社のそばでうまれた。
善知鳥は、外ヶ浜にすむ伝説の鳥の名である。
●(最後の将軍)徳川慶喜の頭脳は、この時代の第一級のものだった。
かれは先代将軍の補佐をして京都に駐在していたころ、そのするどい論理をもって公家たちを畏怖させ、また長州人のあいだで、「家康以来の器量」とささやかれた。
●大正七年(1918)うまれの人口はすくない。
そのとし、「スペイン風邪」が流行した。
世界的にも、第一次世界大戦の戦死者の数より(スペイン風邪で死んだ人数の方が)多かった。
●イギリスがりんごをさかんに栽培したのは、ぶどうが育たず、ワインが出来ないから、りんごでりんご酒を作るためだ。
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Last updated  2024.01.08 00:08:15
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