テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書
もっと幸せになりたい。 もっと認められたい。 もっともっと、愛されたい。 男を、結婚を、名声を、執拗に求め続けた女、眞杉静枝。 最初の結婚からは自ら逃げ出した。 愛人・武者小路実篤はついに応えてくれなかった。 若い恋人・中村地平は逃げ、夫となった中山義秀も最後には背を向けた。 死の間際まで艶聞にまみれたスキャンダラスな女流作家。 こんなにも狂おしく哀しい女がいたーー。 なにげなく図書館から借りてきたがこれが、大正解の作品だった。 林真理子が脂の乗り切った40代に書いた作品で本作品と 「白蓮れんれん」 「ミカドの淑女」で評伝三部作。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 1章から14章まである章は、すべて食べ物になっていて多くの有名人が出てくる。 ◆読書メモ◆ ●やはりあの脳下垂体のせいだろうかと私はぼんやりと考えた。 (真杉静枝の)左の太ももの奥に小さな傷跡がある。 それは牛のホルモンを手術で埋め込んだところだ。 戦後の一時期、若返りの方法としてそんなことが流行ったことがあった。 それを真杉は実行しているのだ。 ●(高雄から)神戸行きの船は月に十便出ている。(大正時代) *植民地だったので日本との定期便があった。 *高雄以外から出発する船もあったのだろう。 ●新聞記者というからにはりゅうとした背広姿を想像したのであるが、彼ら何人かは着流し姿である。 中には矢立を持ち歩く者さえいて新聞をつくっている者とは思えないほどの旧態依然とした恰好である。 大将11年に堂島に新社屋が完成した折、 「これだけ建物がモダンになったのだから、社員は洋服を着なければいかん」と社長が怒鳴ったというのは有名な話であるが、それでもまだ洋服よりも和服のほうがはるかに多い。 ●「看護婦ゆうたら、あばずれか流れ者の女がやるもんやと思っとったわ。」 *当時の看護婦の職業的な地位は低かった。 ●松子は三百年続く船場の木綿問屋の若御寮はんである。 (略) たいていの女が地味な縞ものを着ている中で、松子だけが晴れ着のような友禅をまとっているのだ。 帯留めも大粒のダイヤが燦然と輝いている。(略) 「そら、根津さんのおうちときたら、いくらお金があるかわからへんもの。」 「旦那さんがお金によりをかけてあの人をお人形のように着飾らせてるんやわ。 今日着てはったおべべも、伊東深水やらに描かせたいう話やもん」 *この根津松子こそ、後に谷崎潤一郎の妻になった松子だ。 谷崎潤一郎の「細雪」のモデルになった人。 ●大阪にくらしているうちに、静枝は船場がいかに特殊な町かつくづく思い知らされていた。 船場と口にするときの大阪人の表情は違う。 大阪市の中心にあり、東西の横堀川、土佐堀川に隔離されたこの町は、富豪の商店が立ち並ぶいわば「商人の貴族」が住むところである。 この中でも、一、二を争う老舗から、運転手つきの車で集まりにやってくる松子に、静枝はつい不躾な視線を向けてしまう。 これほど豪奢で華やかな女をそれまで見たことがなかった。 *谷崎潤一郎の妻となった松子のことである。 *松子は清水谷高女を退学させられた。 ●武者小路の毎月の多額の稿料と印税は、ほとんど「新しき村」に消えていくというのはあまりにも有名であるが、彼は個人の富や才能も、多くの人々と共有してこそ価値を持つものだと本気で思っている。 *静枝は、新聞社のアルバイトとして、奈良に住む、武者小路に近づき、愛人となった。 ●(静枝の夫となった)義秀の傍らには仲人である青山二郎が座っている。 *青山二郎は、白洲正子と仲が良かった人だ!! ●鎌倉文庫はついに飢えをはっきりと表明し始めた鎌倉文士たちが、四カ月前に始めた貸本屋である。 大佛次郎、高見順、川端康成、義秀といった十人が当番となり本を提供した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 愛されたい、認められたい、という「自己顕示欲」の塊のようなイタイ女・真杉静江・・・。 彼女の53年の人生を若き秘書・洋子の目から描いている。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.10 00:01:59
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