テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書
司馬遼太郎は、坂本龍馬ら幕末の志士たちが土佐から伊予へと脱藩した道筋を辿る旅に出る。 最初の晩、高知市内で檮原出身の女主人がいるスナックを訪れ、土佐の脱藩者たちが身分の自由を求めたことを考える。 翌日、向かった佐川町では、青山文庫を訪れ、その収集をした田中光顕を思いながら、酒造業の古い街並みを歩く。 東津野村(現・津野町)に入ると、室町時代、義堂周信と絶海中津という五山文学の雄が輩出した高い文化をもつ地であったことを思いつつ、茶畑や高野の茶堂に立ち寄る。 檮原町では町長らの出迎えを受け、神在居の「千枚田」や六志士の墓に参る。 かつて檮原への道は別の山を通っていたと教えられ、坂本龍馬を思う。 夜は三嶋神社の拝殿で津野山神楽を見学する。 翌日は宮野々の番所や、海津見神社を訪れたあと、県境の姫鶴平で高知の人々と別れて、松山へと向かう。 ■街道をゆく 梼原(ゆすはら)街道■ ●梼原のみち● ●ところが日本語(古語)でいう、「ユス」というのは樹木の名前なのである。 むろんユズ(柚)のことではない。 堅い木らしい。 1603年に日本イエズス会の長崎学林が出した辞書である【日葡辞書(にっぽじしょ)】に木の名前として 「yusu」が出ていることをみると、むかしは暮らしの中でよく使われる木だったらし。 ●正岡子規の外叔父・加藤拓川について 明治9年、江藤新平の司法卿時代に創立された司法省法学校(東大法学部の前身)に入学。 薩摩系の校長への反発と、賄(まかない)のわるさにふんがいしてストライキをおこす。 そのまま退学。 明治16年、25歳のとき:旧藩主の世継ぎがフランスに留学することがきまったとき、随行するこちになった。 甥の子規が上京する直前のことだ。 その4年後、同郷の陸軍騎兵大尉・秋山好古(よしふる)が、騎兵研究のためパリにやってくるという前後関係。 パリ滞在3年目に日本政府に公使館で勤めるよう勧められた。 49歳で不意に辞めた。 晩年、貴族院議員になったりした。 ●土佐ではいまでも県下のひとたちは高知市に敬称をつけて、「お町」とよぶ。 (略)いうまでもなく、お城下のころからの伝統である。 ■街道をゆく 北のまほろば (夏)■ ■街道をゆく:北のまほろば(冬)■ ■街道をゆく27因幡・伯耆のみち■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.11 00:11:57
コメント(0) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事
|
|