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2024.04.04
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テーマ:読書備忘録(1394)
カテゴリ:読書

熊本空港に降り立った司馬遼太郎一行はまず、熊本市の北隣の植木町(現・熊本市北区植木町)に西南戦争の古戦場として名高い田原坂を訪れる。
司馬さんは、この地になお残る激戦の跡を目の当たりにし、関ケ原以来の肥後・薩摩の歴史的な対抗関係について思いを巡らし、さらに西郷隆盛という存在の歴史的な巨大さを考える。
一行は八代に下り八代城跡を見た後、球磨川に沿って上流へさかのぼり、人吉で荷をほどく。
鎌倉時代から700年近くにわたってこの地を治めた大名・相良氏の治績を訪ねた司馬さんは、その家系の歴史と世界史における日本の消長を重ね合わせる。
人吉から肥薩の国境・久七峠を越え鹿児島に入った一行は浄土真宗の寺を見て、真宗の禁圧と隠れ門徒の存在に思いをいたす。
川内を経て鹿児島市に向かう途上、苗代川の陶芸家・14代沈寿官の家に立ち寄る。
司馬さんはかねて旧知の沈壽官の内面に、古い薩摩士族の面影を見出す。
鹿児島市内で宿をとった後、沈壽官に勧められた蒲生を訪れた司馬さんらは、武家屋敷の青みがかった石垣に、この町に伝わる薩摩士族の気風を感じるのだった。
■街道をゆく3:肥薩のみち■司馬遼太郎

●読書メモ●
●加藤清正は顔長く、あごひげ長く、四肢よく発達し、見上げるような長身の偉丈夫であるだけでなく異様な巨馬だったといわれる
帝釈栗毛(たいしゃくくりげ)にうちまたがった姿は、九州人一般の武辺者崇拝に適っただけでなく、地方行政の能力も戦国期を通じて卓越していた。

◎清正と同時期の武将・藤堂高虎も同じように、城造りの名手で大柄な人だった。
藤堂高虎の今治城
●日本の古いしきたりでは道具類を購入したとき、その目立たないところに「何年何月何日」と購入の日を墨くろぐろと大書しておくことになっている。
●(鹿児島県には)沖縄語と同様、室町期あたりまでの古語をのこしている例がきわめて多い。
たとえば頭はヅである。
うぶげはネコ毛(柔毛=にこげ)であり、魚はナとイヲで、亭主はトノジョ(殿御?)という。
●本居宣長も「古事記伝」で、
「隼人というのは、絶(すぐ)れて、敏捷(はや)く猛勇(たけ)きがゆえにこの名がある」としている。

●奈良朝のころから天皇の即位のちきにはかならず大隈と薩摩から隼人をよび、宮門にと列させていた。

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Last updated  2024.04.04 00:51:54
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