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カテゴリ:国内旅行
■2024.5.15(水)-1 ■佐倉武家屋敷■を2人のガイドさんと見て回った。 城下町佐倉の面影をいまに残す土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開されています。 3棟とも江戸時代後期の建築で、佐倉藩士が暮らしていたものです。 旧河原家住宅は、市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされ、展示された調度品に佐倉の武士の生活様式を垣間見ることができます。 旧但馬家住宅は、当時より現在の場所に建っていた武家屋敷で、建物内の見学・休憩ができます。 旧武居家住宅は、移築にともない出土した武家屋敷関連の資料の展示が見られます。 ▲障子の板の部分の違い! ▲風呂場の窓は、外からは絶対に開かないように出来ていた。 ▲竈(かまど)は台の上に造っている。 この家は藩から借りているいわば社宅。 移動があれば、この竈を持って引っ越しをする。 ▲式台。これは、この家の主人よりも格が上の人が着た時に使う玄関。 3軒の家は、少し碌が違うので、それぞれ違う様式だった。 ▲庭には木や野菜畑があってサルノコシカケが!! ▲武家屋敷の近くに「ひよどり坂」という江戸時代から変わらない坂道があった。 ひよどりの声のする、この坂を武士が行き来していたとガイドさん。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 武家屋敷に続き、佐倉市の旧藩主の邸宅をガイドさんの案内で見てきた。 (武家屋敷、旧堀田邸、佐倉順天堂記念館の3館を見学できる三館共通入館券使用。) 住居部の玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・湯殿および土蔵、門番所の7棟は、「旧堀田家住宅」として国の重要文化財に指定。 各棟の意匠は伝統的な書院造り様式を基本としていますが、茶室を備えた書斎棟のみ数奇屋造りの意匠を取り入れています。 通常公開されているのは玄関棟・座敷棟・居間棟1階・湯殿で、書斎棟・居間棟2階・門番所は、年数回の特別公開日に見学ができます。 主屋の周りには庭木をはじめ雪見灯籠、手水鉢(ちょうずばち)、景石(けいせき)などを設えて和風の庭園とし、建物との調和を図っています。 ▲床柱の下の部分にある削った模様は、タケノコ。 ▲床の間の横の床脇に段違いに取り付けた飾り棚のことです。 ▲違い棚の端の反りかえった部分を「筆返し」という。 筆の落ちるのをとめる役割。 その外側に設けられた広い芝生地は、園遊会などを開くためのもの。 旧堀田正倫庭園としてこちらは国の名勝に指定されています。 日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「佐倉順天堂記念館」は現在の『順天堂大学』のルーツで、幕末に城下町・佐倉に開かれた蘭学塾&診療所『順天堂』に関する記念館。 「旧佐倉順天堂」として千葉県指定史跡。 武家屋敷、旧堀田邸、佐倉順天堂記念館の3館を見学できる三館共通入館券を使って見に行った。 現代において複数の大学附属病院を有する順天堂大学。 その歴史は江戸時代末期の1843年(天保14年)に佐倉藩主で江戸幕府の老中でもあった堀田正睦が蘭方医・佐藤泰然を招きオランダ医学塾を開いたことにはじまります。 当時としては最高水準の治療や外科手術を実践しながら学ぶことができた佐倉順天堂。 佐藤泰然の引退後に後を継いだ佐藤尚中は明治時代に新政府から現・東京大学医学部の責任者として招かれ、後に順天堂大学を開業。 漫画「Jin 仁」のモデルになっている。 当時は多くの弟子が出入りした佐倉順天堂。 現在残るのはその一部で、記念館として公開されている和風建築は1858年(安政5年)の建築(と、その後増築されたもの)。 記念館内では順天堂に関する各種資料や昔の医療器具が展示。 麻酔のない時代、手術をする時、どんなに痛かっただろうと思うと今に生きていてよかったと何度も思った。 ここでガイドさんと別れ次に向かった。 そうだ関東いこう!(千葉県) ■5/13(月)■関空に泊まる。 ■5/14(火)-1千葉県・成田市■ ■5/14-2「房総のむら」■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.06.08 00:02:32
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